アズマイチゲのおちょぼ口


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   森の中で、今年はずいぶんたくさんアズマイチゲを見ました。葉がよく育ち、群

落が大きく広がっています。だけど、朝早くて気温が低かったせいか、花びらが閉じ

ています。歩いているうちに、開き加減の花にも出会いましたが、まだ中途半端で

す。正面から覗き込むと、おちょぼ口みたい。

                
                           小説 縄文の残光 37
    
                                      それぞれの路(続き)
 
   アテルイはエアチウよりより年下だ。だが会って話すうちに、その広い知識と冷

な判断力に、心服するようになった。今や自分がナタミの族長である。遠から

胆沢・志波に、ヤマトが本格的に侵攻する。その日のために、自分もアテルイ

協力して、できるだけ多くの集落と繋がりをつける努力をしよう。若者を強い戦

に育てよう。そう思うようになっていた。五月の戦いの後は、志波の部族長の集

りで、一目置かれている。アテルイは自分を、頼りになる先達だと言だと言って

れた。その期待に応えたい。

   ヨシマロは自分を、狩りと乗馬の師匠として慕ってくれている。戦の間、ずっと一

緒に行動しているうちに、戦士としても大きく成長した。今では息子か歳の離れた

弟のように思え、家に自由に出入りさせている。
 

   シマには、いっしょに山に隠れた女や、何くれとなく世話をしてくれた男たちが、

苦楽を分け合う大事な仲間になっていた。ヤマトの軍が去り、集落に戻ってから

、女たちの露骨なおしゃべりにも、気軽に加わった。男たちからも、応じてはい

ないが、たびたび誘われる。

   ここでは男も女も性欲を隠さない。食欲と同じように、あけすけに話題にする。

言い寄ったり、言い寄られたりを、楽しんでいる。お互いの気持ちが合えば、気軽

に抱き合う。三角関係の悶着さえ、あれこれ話題にして、どう対応するかの知恵

を交換して楽しむ。集落で人々の関係が穏やかなのは、性的に満たされている

からではないかと、想像したりもする。

   子どもたちは小さいうちから、男女の掛け合いや性交を、あたり前の光景とし

て、成長する。誰も隠さないし、幼い性的遊びが咎められることもない。性熟する

までは、性は主要な関心事にはならない。本当の性交は、成人になってからと、

無理なく納得している。ヤマトでは秘め事とされているから、子どもが好奇心をつ

のらせる。ここでは、大人の必要で、幼い心が矯められることはない。幼さを愛し

まれて育つ。体と心の成長に身を任せ、自然に大人になる。だから、物心つけ

ば、性的関係も、素直に受け入れられる。

   トクシが沈みがちなのは、自分が夫の欲望に応えないからかもしれない。その

気になれば応じる女はいるのだから、もっと自由になればいいのに、とも思う。と

はいえ、じぶんも同じなのだが、ヤマトのくらしが身に沁みついている。立場とか、

他人の目とか、あれこれ考え、欲望に素直になれない。

    尻砂では、互いに陰口を言い、地位や富を競い、とげとげしい対立が絶えなか

った。人々が性的に満たされていないことと、関係があるような気がする。幼くから、

禁じられ、命じられ、機嫌を取られ、気が付く前に抑圧を内面化してしまう。大人に

なったとき、性欲が歪んでいるので、互いになかなか満たされない。その不満に心

を蝕まれ、支配欲に捌け口を求めるのではないだろうか。そして、支配・被支配の

感情が絡むから、性的関係が、その憂さ晴らしのようになって、さらに歪むのかも

しれない。  (この章続く)