センダイハギの明るい黄色


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   何日も青空を見なかったような。なかなか晴れず、出かけるチャンスがなくて。待

きれず昨日、昼近くに雲が薄くなってから、海側お決まりコースを一回り。能取岬

はちょっと霧雨も降ったけれど、小清水海岸まで下るころには青空が広がりまし

た。お日様を拝むのはずいぶん久しぶり。

   海岸草原の黄色系の花にも開花順序があると思っていたのですが、昨日はセ

ダイハギ、ゼンテイカ、エゾキスゲ、エゾスカシユリのどれもが咲いていました。

の四種の中で一番先に咲くはずなのが、センダイハギ。クリームがかった明る

い黄色は、曇天でもよく目立ちます。

   海岸草原は緑が濃くなり、初夏のたたずまいです。岬にも小清水原生花園にも、

けっこう人がいました。北海道の観光シーズンが始まっていたのですね。


                            小説 縄文の残光 78
 
                 田村麻呂(続き)
 
   真麻呂が志波に、宿奈麻呂が爾薩体に赴くことになった。

   志波のアドシキは、もともと胆沢に対抗意識があったので、真麻呂の帰順勧告

は渡りに船だった。だが志波には、亡きエアチウや胆沢のアテルイを慕う者も少

なくない。そこで真麻呂にこう切り出した。

   「オレは都に上って帰順を申し出たい。だが胆沢や栗原のエミシが通さないだ

ろう。真麻呂殿、ヤマトが兵を出し、上京させてくれないだろうか」

   先の戦の折、志波隊に最も死者が多かった。それに、栗原や胆沢南部の集落

は、ヤマト軍に田を荒らされ、田植えができなかった。ヤマトと戦えば、田の収穫

がなくなる。その考えは、稲作大部族の族長たちを怯えさせていた。アドシキは、

ヤマトの兵を志波に入れることで、族長たちの気持ちを一挙に帰順に傾かせ、主

戦派を抑えようと考えたのである。

   「兵を出すことは、我の一存では決められない。だがお前の帰順の意志は、しっ

かり都に伝える。それで胆沢が陥落すれば、俘囚の束ねはお前に委ねられるだ

ろう。そうなればアドシキ、お前が胆沢公だ」

   アドシキの意志は、延暦十一年正月に都へ伝えられ、賜物が下された。だが征

夷の前に敵の領分を突破する兵を送ることは、論外である。それでも、アドシキ

は、胆沢公の名がどうしても欲しかった。賜物を有力族長に分けて必死に説得

し、志波一帯を帰順の方向でまとめることに成功した。

   閇伊と志波が恭順に傾いたことを知り、爾薩体のアワソも、ヤマトとの争いを避

けようと決めた。

   天皇は、北奥の爾薩体に朝廷の威が及んだことを、たいそう喜んだ。これまで

歴代天皇の誰も、海道北奥の部族を帰順させたことはない。アワソとオンガは、

十月に軍士の盛大な迎接のなか、海道を経て上京し、荒嶋とともに饗応され、位

と賜物を授けられた。真麻呂と宿奈麻呂も、エミシ懐柔の功で、外従五位下に叙さ

れた。
 
   爾薩体と閇伊の恭順、そして何より志波の戦線離脱は、アテルイにとっても、か

つてエアチウの下で戦った志波の戦士にとっても、大きな衝撃だった。戦士たちは

いきり立ち、アドシキを武力で討とうとした。だがアテルイが抑えた。

    「エミシ内部で、しかも血縁の濃い近隣部族同士で血を流しあうなど、あっては

ならないことだ。力づくで戦に引きこむのは、ヤマトのやり方だ。奴らと同じになっ

てしまったら、ヤマトと戦う意味がないじゃないか」

   イズナも、

    「敵はアドシキではなくヤマトだ。オレたちだけでも、胆沢や栗原と共に戦えばい

い。アドシキは、自分からヤマトに呼応して軍を起こす気はない。オレたちがヤマト

を押し返せば、奴の気も変わる」と、宥めた。 (この章続く)