香るスズラン


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   スズランの花は葉陰にあるのであまり目立ちません。それでも、漂う香りで、その

存在に気づきます。近寄って眺めれば、小さな花の一つ一つは、確かに鈴に似てい

ます。白い鈴をいくつも紐でつないだような。端正な外見からは、毒草とは思えませ

ん。


                        小説 縄文の残光 75
 
                           田村麻呂(続き)
 
   ヤマトは、延暦八年の征夷を論功で締め括った。だがエミシ社会では、戦士に

賞罰はない。命令されたからではなく、自分のために戦うからである。そしてその

「自分」は、部族の共同無意識にかなり溶け込んでいる。だから戦場で、細かな

指示がなくても、阿吽の呼吸で緊密な連携が実現する。

   部族内の結束は、ヤマトの部隊よりはるかに強固である。部族間の連携は、ア

テルイ、モレ、エアチウ、ヌプリなどの、所属部族を超える同志的結合で実現した。

同族であれ同志的な仲間であれ、親しい者の死は、自分の一部が失われたような

喪失感をもたらす。一番多くの戦死者を出したのは、エアチウ率いる志波隊だっ

た。中でもナタミ部族は、族長のエアチウをはじめ、戦士二十四人の半数を失っ

た。

   その埋葬には、部族員の他、栗原、胆沢、閇伊、雄勝などからもたくさんのエミ

シが駆けつけた。儀式を取り仕切ったのは、エアチウ亡き後族長を継いだイズ

ナ。集まった大勢の客をもてなす食料は、ほとんど胆沢から運ばれた。エアチウ

と志波隊の働きは、胆沢の戦士に強い感銘を与えていたのである。

 
   遠来の客が引き上げて、集落がようやく静かになった。その夜アテルイは、オマ

ロと共にヨシマロの家に泊まった。オマロとパイカラは、巣伏の戦いの日から田茂

山に移り、アテルイの傍にいる。オマロはどこにでも義兄に付いて行く。エアチウ

き今、自分に向けられた最後の言葉に叛くことはできない。

   ヨシマロが嘆く。

    「人はたくさん来てくれたけど、首がなくて、エアチウはさぞ口惜しいだろうな」

    「オレは、もう族長がいないなんて、まだ信じられない。それにしても、ペクトス

の族長・アドシキが来ていなかったぞ。エアチウは、十三年前にヤマトの志波侵攻

を食い止めた功労者じゃないか。そう思いませんか、アテルイ」とオマロ。

    「あの人は口数が少なかった。それでも、気持ちが伝わって、オレの口から言

葉になって出た。オレは今、自分の心が半分なくなったようで、淋しくてたまらな

い。だがヨシマロ、首に拘るな。息が絶えたとき、エアチウは傷の痛みからも、怒り

からも、屈辱感からも、すべて解き放された。死者はもう苦しむことがないのだ。

   だけど生きているオレたちは、かけがいのない人がもういないと思うと、気持ち

がどこまでも沈み込んで、病気みたいになってしまう。それでは体までおかしくな

る。生きている間は生きる。生き物はそうできている。人は、立ち直るために弔い

をするんだ。死者は慰めを必要としない。悼むのは、逝った人に自分の中でいつ

までも生き、話し相手になってもらうため。

   だからオマロ、ペクトスのアドシキが弔いに来なかったことなどどうでもいい。死

者を悼む気持ちのない者は、弔いに参加しなくていいのだ。

   以前ヤマトのクニで王が死ぬと、どでかい前方後円墳を作った。一族の縁者

が、ヤマト大王の威光を後ろ盾に、自分たちの威勢を見せつけるためだ。最近は

エミシにも、族長の墓を大きな円墳や方墳にする大部族も出てきた。これも残っ

た子孫が、自分たちの勢力を誇示するためだ。

   一緒に飲み・食い・踊って、賑やかに埋葬し、明るく悼むのはいい。だが他人の

死を、自分の利益のために利用するなど、エミシのやることではない。オレたちは

自分の心の中で、いつまでもエアチウに生きていてもらいたい。そのために一生

懸命弔った。それでいいではないか」

   アテルイは気付いていなかったが、アドシキの葬儀不参は、来るべきヤマトとの

二度目の決戦に、不吉な影を落とす暗雲の予兆だった。 (この章続く)