森に咲く白い花
ちらでは珍しい花ではないけれど、森の木陰に白く浮かび上がっていると、やはり目
を惹かれます。
小説 縄文の残光 58
風雲迫る
族は、武門の家柄である。家持も、朝廷の血なまぐさい紛争と無縁ではいられな
かった。
で、官を解かれ都から追放された。陸奥の最高司令官に任じられたのは六月、
罪を許された二か月後である。家持は、征夷に執着する桓武天皇が、武の家・
大伴氏に期待し、呼び戻したのだと思った。
間、天皇の軍事罰令権を託された証であり、任務が終われば返還される。征討
開始を命じられたのである。
このときの軍監 (ぐんげん=将軍、副将軍に次ぐ第三の役職) に、坂東の豪族
二人が指名された。家持は、政府の在地勢力への依存が、次第に強まる気配を
感じるのだった。
前年の勅は、鎮守府役人の腐敗を指摘している。兵糧を軽い物に変えて都に
運び、私腹を肥やしている。鎮兵を私田の耕作に使用している。そのため兵が疲
弊し、戦いに耐えない、と。そして朝廷は、叙位と引き換えに、民間人からの兵糧
献上を募っている。
政府は、雄勝・平鹿二郡の百姓がエミシに襲われ疲弊しているとして、三年間
の庸調免除を決定した。また天皇はこうも言う。東国の百姓は、征夷の徴発に疲
れ、物資の輸送に苦しんでいる。だから、使者を派遣して慰め、蔵を開いて食料
を支給する、と。
その上で、坂東八国に、国の大小に応じ、五百人以上千人以下を徴集するよ
う命じた。対象は、軍役に堪える散位(官職のない有位者)・郡司の子弟・俘宕人
(ふとうにん=俘浪人)である。俘宕人は、本籍地を離れた公民。軍団兵の脆弱さ
に業を煮やし、武器の扱いに慣れた者を徴発・訓練し、陸奥に派遣しようとしたの
である。
農民を束ね、私田の小作料徴収、開墾などを請け負う豪族の中から、在地武
奥州藤原氏などを旗頭に、連携するようになる。
出挙・調庸、そして公民の力役・軍役の分配権は、最終的には天皇が持っていた。
だがもともと、土地と人の私的支配が行われる例外があった。位田・職分田・職
封・神田・寺田などだ。
大寺・貴族高官の私田は膨大で、そこで働いたり小作料を納めたりする農民
の数も多い。そのうえ、国司や、郡司・富戸など地域の豪族も、活発に墾田開発
を進め、田を私有するようになっていた。
戸籍と公田の束縛から逃れても生きられる農民、あるいは逃れないと生きられ
ない農民が増えている。西では造都、東では征夷で、公民の疲弊が深刻になって
いた。
郡役人が置かれていなかった。家持はこの地で、在地勢力の中から、統治責任
者を登用したかった。軍の主力がエミシ征討に遠征している間の、守りを固める
ためである。 (この章続く)