ハマエンドウの色は鮮やか
サイタマンさん、ありがとうございます。書きはじめるまでに2年かかりました。それ
でも資料に乏しい時代だから、準備が短かったのだと思います。それにしても、自分
の想像力の乏しさを痛感させられます。
海岸草原は花の季節になりました。黄色いユリ類や赤いハマナスほどには目立
ちませんが、青と白の色鮮やかなハマエンドウも、わたしのお気に入りです。名前
の通り、庭のえんどう豆に似ています。でも、庭ではこれほど色がさえないような。
栽培種より野生種のほうが花が大きいのは、珍しいかも。海岸草原ではライバル
が多いから、花粉を運んでくれる虫を引き付けるため、目立つ必要があるのかな。
小説 縄文の残光 79田村麻呂(続き)その場はそれで収まったが、志波離反のお膳立てをした真麻呂に、憎しみを抱
主犯は、海道に近い山間集落のアテラ。居所を襲い、真麻呂と息子を殺害したの
である。アテラの集落はヤマトの報復を受け、同族六十六名が日向に流された。
田村麻呂率いる征夷軍がエミシ軍と激突してから、一年ほど後の事件だった。
から遷都し、人心を一新しようとしたのである。それに伴い、予定していた征夷を
延期することにした。
壮麗な新都の完成と征夷の成功、二つの慶事の時期を合わせれば、いっそう
威信を誇示できると考えたのである。胆沢の奥では荒エミシが恭順した。軍粮・
武具の準備、兵士の徴募・訓練も順調に進んでいる。天皇は勝利を確信してい
た。二月に征東大使の呼び名を、征夷大使に変える。
職の始まりである。率いる軍は総勢十万。
四人の副将軍の下に、軍監十六人、軍曹五十八人が任命された。軍監・軍曹
の多くは地方豪族だった。十万のうち、三万五千ほどは輜重部隊で、その中心は
陸奥・出羽の軍団兵。戦闘員六万五千のほとんどは、募兵に応じた地方官吏や
豪族の子弟などである。そのなかから、異例の多数が抜擢され、士官に任じられ
たのである。田村麻呂は、前回の敗因の一つが、将校の目的意識の欠如と軍規
の乱れだ、と思っていた。
そこで、三月に多賀城に全軍が揃うと、戦闘部隊の将校を集め、こう訓示した。
「戦いの目的は、交戦地域全域でエミシ村を焼き尽くし、刃向かう者を殺し尽くし、捕らえたエミシを諸国に移配することである。苛酷な処置に俘囚が反発する
恐れがあるので、今回は俘軍を召集せず、ヤマト兵だけで戦う。
蛮族が一掃された後、中部・坂東から柵戸を入れ、耕地を分け与える。これに
よって、帝の威信が北奥に達する。第一の目標は、伊冶城の奪回である。強固な
砦として再建し、西の山から東の山まで、一帯の蛮族村すべてを破壊する。その
後、胆沢へ進軍する」 (この章続く)