ハマナス咲きはじめのころ
いても、よく目につく色です。バラ科の野生種の中では花が大きいほうではないで
しょうか。7月後半から8月の最盛期には、もっと密集して咲く海岸や湖畔もありま
す。でも初夏の疎らな赤もわたしは好きです。
小説 縄文の残光 92
燃える森
官した。十月に、鎮守将軍を兼ねる。翌年十一月に、征夷大将軍になった。朝廷
次の征討で胆沢・志波、いやもっと北まで、ヤマトの直接支配の下に置くことがで
きると、確信している。だが征夷が各国に及ぼす影響に、不安な点がある。今後
の資格で諸国を回り、各国で移配エミシの実態を検校(調査)した。
東各地までの各国に、大量に強制移住させられた。 各地ですんなり庸調民化し
たわけではない。
受入国は夷俘料が定められ、移配後二代は米穀を支給する義務があった。
受け入れたのは、十世紀半ばの記録で三十五カ国。夷俘料の量からすると、多
い国は千人以上の給付対象者がいたことになる。
て狩りに明け暮れ、賦役を迫られれば山に逃げる者がいた。また、地方政府に
武力で抵抗したり、地域住民を巻き込む紛争を起こしたりすることもあった。田
村麻呂は、移配エミシやその子孫に融和を促す施策を、諸国の国府と協議した
のである。
二人、兵四万人が集結した。一か月余の訓練の後、胆沢に向かって進軍を開始
する。
もう多賀城から伊沢まで、まったく警戒しなくていい。荒エミシの集落は消え、
俘囚村に不穏な動きはない。伊沢城に常駐する千人の兵と、周辺に配された柵
戸が、胆沢南端までの一帯を掌握している。
山間の郷人で、狩りに慣れた男たちである。森に接する耕地と作物を守るには、
頻繁に狩をし、獣に人の領分を承認させなくてはならない。上野や会津の奥には、
その役割を担う人々がいる。胆沢エミシは、森で戦えば負けないと思っている。田
村麻呂は、森林戦で痛撃を与え、抵抗の意思を挫くつもりだった。山や森を歩き
なれた男たちなら、胆沢の山は知らなくても、人の踏み跡と獣道は区別できる。
(この章続く)