戻ってきた流氷


   デジモナさん、イルカが躍動していますね。元気だなー。足腰の衰えた身には、う

らやましいような。


   タムラ、自信なんてないよ。読む人に楽しんでもらうことより、「自分の言いたいこ

とを言う」が表に出た作品なので、付き合ってくれる人がありがたくて。感謝の気持

を込め、せめて名前くらいカミングアウトしようかと。

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   昨日朝の能取岬近海です。網走は3月7日に海明けだったはずなのに、流氷がし

っかり戻ってきていました。海明け後の流氷は、少なくともわたしがこっちに来てから

は、初めてのこと。今夜の天気予報はまた雪です。こんなに雪が何回も降る4月も初

めてです。気候変動の影響が身近に迫ってきているような。


                                           縄文の残光  4

                                            ウクハウ(続き)

   城を去ったとき、蜂起を考えていたわけではない。使者の背に思わず、「城を

攻める」と叫んでしまった。それで気持ちが定まった。一ヶ月ほどたって、城に残

っていた他部族の者から、報せが入った。都から道嶋嶋足(みちしまのしまたり)

が下向し、今度の件を調査しているという。嶋足は道嶋一族の出世頭。位は正

四位上とかで、貴族に属するらしい。道嶋一族の大物が来たからには、向こうか

ら攻めてくるだろう、もう戦うしかないと、ウクハウはあらためて決心した。

   だがその年も次の年も、征討軍は来なかった。そのうちに、都に騒動があった

と聞こえてきた。称徳天皇が没したとか、天皇の寵を受けていた道鏡が失脚した

とか。その後も、光仁天皇が井上皇后と皇太子の他戸(おさべ)親王を廃し、幽閉

したとか。朝廷は北辺に軍を出すゆとりがないようだった。

   ウカンメ部族だけでは、ヤマト軍に勝てないことは分っていた。都が混乱し、時

間の猶予が得られたのは幸だった。ウクハウは、海道(北上川下流の牡鹿・桃

生・遠田などから南三陸方面に延びる地域)のエミシ集落を回り、蜂起を呼びかけ

た。遠田地域の中心部は、ウカンメから北西に二里(八キロ)ほどの、旧迫川流域

である。このあたりの部族は、エミシとしては早くに、稲作を取り入れて人口を増

加させていた。中核はアキオツ集落。高いところは七十四丈(220メートル)ほど

ある丘陵地帯を隔てて、桃生城と向かい合っている。族長のアシレラはヤマト進

出の脅威を、ウクハウ以上に強く感じていたので、蜂起に乗り気だった。

     アキオツ部族は、強力な荒エミシとして知られていた。道のない湿地と草木が

  繁茂する入り組んだ丘陵を楯とし、それまでヤマト軍を集落に入れたことがない。

  桃生城ができるまでは、海道エミシの中核だった。今でも、表面は恭順し国府

  城柵に出入りする俘囚からも、情報が届く。ウクハウは、陸奥国府の動向をアシ

  レラから聞いた。宝亀三年(772年)、老将の大伴駿河麻呂陸奥按察使に任じ

  られ、その翌年国司と鎮守将軍を兼ねた。駿河麻呂は海道エミシに対し、融和策

  と強攻策のどちらを採るか迷っている、ということだった。アシレラは、いずれ征

  討の軍が興されるから、その前に桃生城を攻めようと持ちかけ、ウクハウも同意

  した。(この章続く)