山と白雲


   デジモナさん、ツツジが華やかですね。南側軒下の雪が融け、チューリップの芽

一センチほど伸びています。ウチで今年最初の芽生えです。

   黒点減少期のミニ寒冷化は、歴史時代では、1350-1370、1420-1570、 1645-17

15、1770-1830の4回はわかっているようです。現在、黒点減少が続いているにもか

わらず、寒冷化が起きていません。IPCCの科学者たちは、黒点減少期の寒冷化

効果が、いまの二酸化炭素増加による温暖化効果より、ずっと小さいと考えいる

のだとおもいます。それどころか、ミランコビッチサイクルによる氷河期の到来さえ

ないものにしてしまった、と言う科学者もいます(カート・スティージャ『10万年の未来

地球史』)。地球生物にとって氷河期は温暖化より過酷なので、それはいいことです。

でも、ここで止まらずに行き過ぎると、やはり困ることになるんじゃないかなー。

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   次第に空の青が濃くなってきているので、白雲に目が行く機会が増えました。

摩周湖の展望台や屈斜路湖畔で、山の端に浮かんでいるのを見ると、つい撮りた

くなります。

                        縄文の残光  5
 

           

                                 ウクハウ(続き)
 
   決起したのは、宝亀五年七月(新暦8月)。八十を超す海道エミシの部族から、

千二百人ほどが参加した。まず江合川に架かる橋を焼き、南と西から桃生城に

入る道路を塞いだ。救援に来るとすれば、南の多賀城に置かれた鎮守府の兵と、

西の名取・玉造・小田などの軍団兵だと、予想できた。鎮兵は坂東の軍団兵から

選抜された常備兵である。総数は五百人ほど。軍団兵は、律令下の公民の中か

ら、正丁(二十一歳から六十歳の健康な男子)四人に一人の割合で召集され、六

交代で軍務に就く。この時期の陸奥国は、総勢一万人の十軍団があったが、実

兵力はその六分の一で、千七百人ほどである。

   ウクハウは城内の様子を知っている。桃生城に常駐している官兵は、鎮兵と軍

団兵を併せ、三百人ほど。他に滞在している俘囚の族長や地元豪族の随員も加

えれば、戦闘員の総数は六百を超す。だが攻撃が始まったとき、地元勢の姿は

なかった。事前に、荒エミシの不穏な気配を察し、さまざまな口実をもうけ、それぞ

れの集落に退いていたのである。道嶋一族のような豪族は、ヤマト軍に加わって

柄を立てる機会を狙っている。とはいえそれは、征討軍が組織されてのこと。

援軍の期待できない城に、命を懸けたりはしないのだ。

   城の外郭線は、築地や木柵が二重・三重になった防御壁である。その間には

大溝。夏の盛で、水はない。正門に至る通路部分は、防御壁も溝も途切れてい

る。門には頑丈な扉。正午過ぎに、南と西の道路を塞ぎ終わったエミシ隊が、通

路の端に到着した。そこから先は容易に進めない。通路の半ばまで行くと、門上

の楼閣から矢の雨を浴びせられる。左右は防御壁と大溝で、通路は狭い。密集

して進むエミシは、格好の標的になる。外郭線外からでは、反撃の矢も届かない。

辛うじて門前に達した者たちが押したくらいでは、下部を地下に埋められた巨木

柱も、内側から扉を支える太い閂も、びくともしない。門前にひしめく男たちの頭

上から、矢や岩や熱した油が降って来る。下から射返す矢は勢いが弱い。敵は楯

や柱の陰から攻撃できるが、こちらは身を晒している。次々に死傷し、重なり合っ

て倒れる。アシレラはやむなく、通路から撤退させる。

   膠着状態のまま日が暮れた。楼閣とその左右の土塁上で焚かれる篝火を見

ながら、アシレラがウクハウに話しかける。

「どうやら正門の突破は難しそうだな。裏門はどうなっている」

「やはり扉は頑丈だ。それに通路はもっと狭い。百人の兵が守っていたら、やっぱ

り破れないだろう」

「そうか。敵の総勢はどのくらいだ」

「土地の者はいないようだから、三百というところかな」

「なら、正門に二百、裏門に百が配されれば、他の外郭線には守備兵がいない

な。よし、オレは防御壁を破る。どのあたりが弱いか分るか」

「西郭に官舎などが集中している。その近くに、二重の壁だけの所がある。溝は

その間の一本だけだ」

「よし、西だな。幸い溝は空だ。木を伐って梯子を組み、降って登れば、溝も塀も

越えられるだろう。五百を連れて行く。三刻(一時間半)後に、正門の攻撃を始めて

くれ。敵の矢が届くところまで進まなくてもいい。できるだけ大声で騒ぎ立て、今に

も門前に殺到すると思わせるのだ」  (この章明日に続く)