シジュウカラ


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  五月、葉が茂る前に、庭で撮ったシジュウカラです。頭から顎にかけて黒い山賊

なので、これだけ近くから撮っても、眼がわかるのは最後の一枚だけです。首す

じ背中側の淡い黄色、長く伸びた尾、つぶらな瞳は、なかなか魅力的。頭部が白

かったらオシャレな鳥なのにね。


                              小説 縄文の残光 77
 
                  田村麻呂(続き)
 
   しばらくして田村麻呂は、俊哲と浜成から離間策を告げられた。海道の豪族、

吉弥侯部真麻呂、大伴部宿奈麻呂、吉弥侯部荒嶋を介し、閇伊・爾薩体・志波

の荒エミシに働きかける、というものだった。

   海道は浜成の働きで、気仙まで、ヤマトの支配下に入っている。特に多賀城

近い南の地域は、古くから入植者と先住民の混血が進んでいる。その地域有力

者には、地名に公の付くエミシ姓を嫌い、変更を願い出て許された者が少なくな

い。その場合、認められる姓の多くが、吉弥侯部(きみこべ)や大伴部だった。

   宇漢迷公ウクハウは、宝亀五年(774年)に桃生城を襲い、その後ヤマト軍の

攻撃で、行方が知れなくなった。だが、吉弥侯部荒嶋の話では、遺族が海道の

北・閇伊に逃れ、部族が再興されたという。族長の名はオンガ。姓を許された後

は、宇漢迷公オンガ。

   オンガがウクハウの供で桃生城にいた時期に、荒嶋も城に出入りしており、二

人は交流があった。田村麻呂が賛同し、俊哲と浜成は荒嶋にオンガ説得を依頼し

た。荒嶋は、宇漢迷一族の過去を問わないという条件で、吉弥侯部真麻呂、大伴

部宿奈麻呂を伴い、閇伊にオンガを訪れた。

   荒嶋は説いた。

    「今ヤマトは、かつて例を見ない大規模な征夷を計画している。既に三十万石

近い軍粮を集め終わった。兵の数は十万を超すという。今度はアテルイも敵うま

い。帝は、さらに北へ進んで、爾薩体や閇伊まで攻め込むようにと、命じたそうだ。

我はそれを知って、オンガ、お前のことが気になってな。

   もしアテルイに加担したりしたら、ウクハウのことがあるから、お前は死罪を免

れない。だが、今のうちに恭順すれば許される。将軍連中に、あの事件のことは

問題にしないと約束してもらった。一緒に来た二人が証人だ。その上、位やさまざ

まな賜物が授けられるぞ。このあたりでは、今まで官位を受けた者はいない。お前

は一帯で一番の族長になれる」

   オンガは心が動いた。だが、気がかりがある。海道の南はヤマトの勢力下だ

が、西の志波や北の爾薩体がアテルイに加担するかもしれない。そうなれば閇

伊の他部族も同調し、自分は孤立する。

    「荒嶋、オレは爾薩体のアワソと志波のアドシキに面識がある。使者を立てる

から、あなたも同行して、二人を説いてはもらえまいか」

    「ありがたい申し出だ。うまくいったら、お前の手柄になる。だが我は歳だ。険し

い山を越える自信がない。真麻呂、宿奈麻呂、二人で手分けして行ってくれない

か」   (この章続く)