エゾエンゴサクの季節

ゆめらじさん、そらさん、タムラ、あのアカゲラは撮った後に飛び立ったから、ちゃんと生きていましたよ。枝の

下側に仰向けに止まっていて足を離し、その背中に近い下の枝に着地したのでしょうか。

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 先週金曜日に魚無川崖上の美富自然公園でエゾエンゴサクがだいぶ咲いていました。それでもまだ満開では

ないみたい。崖下のせせらぎ公園は日陰なので、歩き回っても気が早いのがときどきぽつんと見つかるだけ。で

も昨日呼人の森では福寿草が散り、水芭蕉が満開、アズマイチゲがさかり、そして小路の両側におびただしい

数のエゾエンゴサクの花が。この前20日には、エゾエンゴサクは一本も咲いていなかったのですよ。なんだか

今年はひときわ春が慌しいみたい。せせらぎ公園エゾエンゴサクもすぐに咲きそろいそうです。


政治の現在と未来についての感想 13

                                   ――― 公の私性(承前)

 

 発達した統治組織が個人の「私ごと」に細かく干渉するようになり、公的イデオロギーが社会の


末端まで届くようになると、身体的交流が生む「私ごと」の親和関係が解体しはじめます。さらに


現在の「先進諸国」では、家族、親族、隣人との親和だけでなく、地域社会、職業集団、階層・階


級などへの帰属意識も希薄になり、裸の個人が析出されてきています。「私」と「公」が部分集団


の媒介なしに直接向き合います。個人的な価値観や物欲の満足のために「公」を利用することを、


わたしは私利私欲と呼びました。現代は、私益を求めると私利私欲になり、公的主張の背後に私


利私欲が透けて見える時代です。


 自然科学は論理的整合性と実験・観測を通じて、客観知を積み上げる営みです。定説として確


立した科学理論はその提唱者の私利私欲と無関係に評価できます。しかし十分な客観的検証を


経る前の科学者の発言には、その人の価値観、地位、収入などへの、意識的なあるいは無自覚


なこだわり生む歪みが感じられるケースがたくさんあります。まして客観的な検証の及ばない政


治的・社会的な主張は、たいてい発言者の私性と切り離すことができません。個人の部分集団へ


の帰属にもっとリアリティーがあった時代には、部分集団の共通利害を代表する主張を被統治者


に及ぼすために、「大義」が唱えられました。いまは「公」の大義が薄れ私性が浮かびあがってい


ます。


 わたしは全原発の廃止をすぐに始めるべきだと考えています。この主張は経済成長の恩恵に関


心のないわたしの立場と、無関係ではないと思います。個人的な人生観や自分の幸せへの計算


が背後にある、私的な意見です。「経済やエネルギー確保の面での大きなリスクを避けるために


は、安全上のリスクを含むもの(原発―引用者)でも使う必要がある。」これは原子力工学専門家


の工藤和彦という人の言葉です(3月14日付朝日新聞原発列島ニッポン安全なのか」から)。彼


は専門的立場からの発言だと思っているでしょう。しかし、原発経済的利益と安全上のリスクを


比較する客観的な基準は存在しません。したがって科学者としての発言ではなく、政治的な見解


です。そしてこの見解は、原発が廃止された社会での彼自身の立場への思惑と無関係ではない


でしょう。私利私欲の欺瞞的表現としての公的主張。それがわかりやすい時代になりました。


 いまヨーロッパの「経済先諸進国」(北欧諸国を含む)で、EU脱退・移民排斥を主張する極右政


党が、第二、第三勢力にのし上がってきています。その支持者の中心は若年層だとか。彼らの多


くは衣食に困窮することはないとしても、将来に希望をもてません。若年失業率は高くなっていま


す。働けても、契約、ハケン、パートなどの非正規雇用で気軽に使い捨てられる立場に甘んじる。


さもなければ末端正社員として、悪化する職場環境のなかで心身を損なうほどの過重勤務に耐え


る。どちらにしても将来への展望はなく、仕事に生きがいは見つかりません。そして、貧しい発展


途上国とちがって、自分の現在は環境のせいではなく、競争を勝ち抜けなかった自分の責任とさ


れます。


 西欧や北欧はもはや、生まれた土地、家族、階級などの、身体的に決まる社会集団に束縛され


る社会ではありません。生まれながらの集団帰属から自由なので、どんな政治信条でも勝手に選


ぶことができます。生きがいのない日々への怒りを社会への批判に結びつけて、環境保護運動


身を投じることもできます。きっかけさえあれば、イスラム系テロ集団に参加して、その兄弟的情


愛に安らぐことさえできます。しかし環境保護運動にはしち面倒な理屈がまとわり付き、テロには


命を捨てる覚悟が必要です。もっと容易に競争を勝ち抜けなかった自責の念を癒してくれるのが、


極右の主張です。お前たちの苦しみは移民が職場を奪い、エリートたちがEUを作って国をないが


しろにしたせいだと、怒りの対象を外に設定してくれますから。日本の橋下現象にも通じるところ


があるような。私的な幸せへの絶望感が、わかりやすい「公」に気持ちを短絡させるのでしょうか。


だとしたらその構造は、わたしがこれを書くことで、個人的な幸せの欠ける部分を補うのと同じで


すね。(明日に続く)