芍薬―つぼみから花へ
そらさん、暑さから一息つける日があってよかったですね。こちらは今朝も寒くて。
たものまで、順に並べてみました。ぜんぶ同じときに撮ったものです。終わりから3枚目のピントが甘いのは、シ
ャッターを押した瞬間に風が吹いて花が揺れたから。
ピダハン―類を見ないほど幸せな人々⑤
ピダハンには「正義も神聖も罪もない」ので、純潔・貞節・愛・性を秘める観念などはありません。がから人前
でも平気で互いのペニスを掴んだり引っ張ったりして、ふざけあい笑いあう光景も見られます(101・149・150
頁)。「ピダハンは性行為を大いに楽しむし、自分の性行為を遠まわしにほのめかしたり、人の性生活をこだわ
りなく話題にしたりする。」「結婚していないピダハンは気持ちのおもむくままに性交する。」(118・119頁) 満月
の夜に催される歌と踊りのあいだは、結婚していないもの同士だけでなく、既婚者も別な相手とかなり奔放に
性交します(120頁)。
結婚している男女は配偶者同士の性交がふつうですが、配偶者以外とはするべきでないという強い規範は
ないようです(119頁)。非婚者同士が同じ家に住みはじめれば、なにかの儀式なしに夫婦と認められます。両
方または片方が既婚者の場合、婚外性関係に入った二人は、2日から4日ほど村を離れ、戻って一緒になる
ことも元の鞘に収まることもあります。「相手に逃げられた側が復讐するケースはまずない。男と女、少年と少
女の関係は、結婚しているいないにかかわらず常に愛情を基盤としていて、時折軽い浮気や深刻な浮気に味
付けされるのだ(147頁)」。
エヴェレットは妻が浮気した夫を懲らしめる場面を何度か目撃しています。それは例えばこんなふうです。妻
が夫の髪の毛をつかんで頭を押さえつけ、夫が頭を上げようとすると髪の毛を引っ張って引き戻し、傍らにあ
った棒で頭や顔をとりとめもなく叩きます。そうされながら夫は見ている人に、「女房がどこにも行かせてくれな
いよ」と、くすくす笑いながら言います。この例では次の日に二人の関係が修復されました。(148頁) エヴェレ
ットはこれを「社会が認める解決策で」あり、「ずいぶんと気の利いたやり方だ」として、こう書いています。
(前略)ピダハンにも離婚はある(手続きはない)。だがほんの出来心だった場合には、こういう懲らしめ方
は効果的だ。妻は目に見える形で怒りを表現することができ、夫は一日じゅう妻の気が済むまで殴らせる
ことで後悔の念を示すことができる。重要なのは、その間喚き散らしたり怒りをあらわにしたりしないこと
だ。くすくす笑ったり、にやにやしたり、声を上げて笑ったりするのが大事だ。というのも、怒りはピダハン社
会では大罪だからだ。女性の浮気もよくあることで、妻に逃げられた夫は妻を捜しに行く。寝取った男を口
汚くののしったり脅したりすることはあっても、暴力は許されない。誰に対しても、相手が子どもであれ大人
であれ、ピダハンの社会で暴力は容認されない。(149頁)
エヴェレットはピダハンが「自分に厳しく、年配の者やハンディのあるものに優しい」と言います。例えば、漁
にも狩にも行けず、たきつけにする小枝を集めるだけの年寄りがいます。彼に無償で食事を提供している村人
は、その理由を、おれが若いころ彼が食わせてくれた、いまはおれが食わせる、と説明したそうです。誰かに
食べ物をあげようとするときのピダハンの口上は、「この料理の食べ方を知っているか?」です。言われたほう
は欲しくないとき、「いや、食べ方を知らないんだ」と答えます。お互いの気持ちを傷つけないための作法です。
彼らは、よそ者に対しても集団の内部でも、「穏やかで平和的な人々だ」と、エヴェレット言います。(123頁)
エヴェレットが挙げる血縁関係を表すピダハンの言葉は次の通りです。マイーイ:親、親の親、そして何か欲
しいときの相手がこの一語に含まれます。アハイギー:同世代の単数または複数の男女から同胞集団までを
くても外国人がこの言葉に含まれることはまずありません。ホアギー:息子。カイ:娘。ピイビー:両親または片
親のない子、継子、お気に入りの子を表します。この五つだけです。(124―126頁)この事実からも、血縁を超
える集団内親和関係が強い文化だと推測できます。
性に対する社会の態度は、親和的だったりとげとげしかったりする社会の雰囲気と、密接に関連していると
思います。次の2回はこの点について検討し、さらにわたしたちの現在を対比してみます。(明日に続く)