森の野鳥たち
政治の現在と未来についての感想 12
――― 公の私性(前)
生業が狩猟採集から農業に変わり、穀物のような、蓄積・運搬・交換に適した財が大量生産さ
れるようになると、さまざまな職業や地域の間で分業と相互依存が深まります。貨幣は交換価値
公権力は有力な社会集団と結びつくことで安定します。しかし政治の本質は、人々を広域的に
統合し、その協働が秘める可能性を実現することです。政権がどれか一つの部分集団を露骨に優
遇すれば統合が損なわれます。そこで、特定層へのてこ入れが最終的に全体の利益になるのだ
と、大義が持ち出されます。例えば、法人税減税は経営者と投資家を富ませるだけでなく経済全
体を活性化させる、と。全体利益はさまざまに表現されてきました。あまねく神または仏への信仰
が行きわたった国、自民族が支配する大帝国、あるいは労働者国家、経済的に繁栄する国家な
ど。1900年代最後の四半世紀、日本では経済成長至上主義が全国民のコンセンサスに近づい
ていました。経済的な繁栄がすべての国民を幸せにするというイデオロギーです。経済長から最
全体利益は文明が始まってからこれまでずっと実体ではなく、公権力が支配下の全住民に統治
ところがいま、社会集団がどんどん細かくなって短期間で組み変わり、集団内の共通利害も錯
綜し変化しています。特に半世紀ほど前から、家族、親族、地域社会、職業集団、階層・階級など
すべての社会集団と個人の間に、亀裂が顕著になってきました。そして価値観も多様化し浮動し
ています。複数の集団にかかわってその間で帰属意識が揺らいだり、たまたま手元に届いた情
報によって簡単に価値観が移り変わったりする人も、少なくないようです。そして何より、どんな集
団にも帰属意識をもたず、ややこしい思想などにはひとかけらの関心もないという人の層が、大き
くなっている気配があります。彼らは目の前に現れる身辺の出来事に、直感的・感覚的な選択で
対応します。すべてが「私ごと」と言ってもいいような。
かつての狩猟採集部族では、「私ごと」の根っこは顔見知り小集団の共同意識に埋め込まれて
いました。前世紀までの「民主主義社会」では、社会諸集団それぞれの共同幻想に積極的にか
かわり、公権力争奪戦に関与する個人が、「社会参加の意識」が強いとして肯定評価されました。
身をすくめてその争いをやり過ごそうとする「公民意識が低い」人は、軽蔑の対象です。私に執着
するのは卑しく公を思うのは高貴、私益より公益がだいじ、という観念が底流にあったのだと思い
ます。しかしこれは、「諸個人の幸せの総和が全体利害」という立場に立てば、転倒していたよう
に思えてきます。(明日に続く)