三湖


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   日曜日、屈斜路湖網走湖、濤沸湖の三湖を巡りました。どれも解氷が進んでい

ますが、それぞれに違う風景です。最初は、峠の途中から見えた屈斜路湖。まだ湖

面のほとんどが氷に覆われています。それでも湖岸に立つとかなり水面が開いてい

ました。

  次の三枚は網走湖です。午後の傾きかけた陽光を受け、残氷が銀色に輝いてい

ます。この辺りは、網走湖の中でも一番湖面が広がっている場所です。昨日アップし

た水鳥の大集合はこの右です。

  最後の三枚は濤沸湖平和橋から。時刻はお昼前後。遠望すると、氷が薄い印象

す。でも近くを見ると、ずいぶん厚みがあります。今日の昼は気温が二十度近くまで

上がるという予報です。春が急ぎ足で近づいています。一、二週後には、三湖の氷も

消えるでしょうか。

                          小説 縄文の残光 19

 

                    シ マ(続き)

 
   父が死んで正丁は二人になった。一人が兵役や力役に取られれば、頼りにな

る男手は一人だけ。それに父の一族からの給養もなくなった。困窮が目に見えて

いる。そんなとき、郷長が母の美貌に目を付け、執拗に言い寄ってきた。三十五

歳の、好色で知られた男である。母はそんな男に身を任せたくない。郷長の妻に

も怨まれるにちがいない。だが一家を支える責任がある。郷長がもたらす米や布

を断れなかった。
 
   郷長の祖先は、白村江の戦でヤマト・百済の水軍が新羅・唐連合軍に大敗し

た後に、半島から渡って来た一族だった。渡来後、政府の支援を受け、尻砂に入

植した。今では土着の人々と区別されなくなっているが、祖先が携えてきた農事

の知識技術と商才は、一族に連綿と受け継がれている。朝鮮半島では大陸か

ら、土木や農業の技術といっしょに、儒教的身分制もいち早く伝わったらしい。役

人とのつながりや地位に執着するのも、半島でのくらしで培われた知恵なのだろ

う。きっとそういう才覚のおかげで、何人も奴婢を抱える富戸に成り上がることが

できたのだ。

   郷長がもたらす物がなかったら、子どもだった自分たちは、ひもじい思いをした

にちがいない。郷長はずっと通い続けた。今は郷人にも、母が通い所なのだと知

れ渡っている。兄妹に対し父としてふるまい、シマに行儀作法を教え込み、都から

下る国庁の役人に仕えさせると、言うようになった。

   令の規定では、法的に保護される妻は一人。郷長には、媒(媒酌人)を立て、双

方の婚主(保護者)の承認を経て、正式に結婚した妻がいる。正当な理由がなく離

婚すれば、律(刑法)に触れるだけでなく、妻の家や自分の一族と悶着になる。だ

から郷長は、どんなに執着しても、シマの母と正式に結婚することはできない。

   郷長は儒教的な父権主義の家で育った。富を蓄え、高い地位を得ようとすれ

ば、他人を蹴落とす策謀が必要だ、と言っていた。役人たちの機嫌をとらなけれ

ばならない。顔で笑って、屈辱に耐えるのだ、とも。妻は、都から国庁に下った役

人が、現地で妾に産ませた娘だった。父の身分を鼻にかける権柄高い妻との生

活では、気持ちが安らぐことがなかったのだろう。

     だから身分は低いが美しい女を自分のものにして、鬱屈をぶつけて気を晴ら

   したかったのかもしれない。夫ではない相手の援助でくらす女は、立場が弱い。
  
  男の気持ちが離れたら、くらせなくなる。母は男の好色な欲望に、おとなしく応え

  るしかなかった。蔑まれ、罵られ、暴力的に体を弄ばれる日々が続く間に、自分

  はそれだけの女なのだと、あきらめが体中に染み渡った。そうなって、玩具のよ
  
  うに扱われる媾合(まぐあい)が、待ち遠しくなったようだ。 (この章続く)