オホーツク文化人は


 デジモナさん、コサギがまぶしい白さですね。北海道にはいない鳥かな。

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 一枚目は貝塚館に掲げられていたモヨロ海岸の画像です。この海で漁をし、画面にはない手前の丘に広がる

森で猟をしたのでしょう。2枚目の女性像は頭蓋骨から復顔するようにして描かれたのでしょうか。今はなき妹を

思い出します。流氷の海でアザラシを突いているらしい男性の顔も、子どものころ会ったことがあるみた

いに、親しみを感じます。

 オホーツク文化人の遺跡は北海道北東海岸部、サハリン、千島列島に広がっています。大陸北東部、アムー

ル川流域の先住民と近縁だとか。大陸から北方ルートでのまとまった渡来の波としては、最後のものでした。縄

文文化草創期からこのときまでの1万年以上、波状の渡来はなかったかもしれません。それでも、もともと北海

縄文人のルーツが北方モンゴロイド系だったので、その顔にわたしが懐かしさを感じるのでしょう。縄目のつい

た土器は作らなかったし、縄文人とはちがいますが、2万年とか遡れば同一祖先に行き着くのかも。

 最後の写真は室内に積み上げられて祭られた熊の頭蓋骨です。擦文文化期に縄文系の人々にオホ

ーツク文化人が合流してアイヌの祖先になったとすれば、生活道具や習慣に共通な要素があっても不思

議はないですね。わたしが生まれた越後あたりまでは、続縄文人アイヌの交流圏に入っていた時代も

あるようです。