濤沸湖の丹頂


イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

 濤沸湖白鳥公園から田園地帯の丘陵に上る途中、湖畔で餌をついばむ丹頂を見かけ、車を停めました。この

あたりで遠い姿を目にしたことはありましたが、こんなに近くからは初めてです。繁殖の中心地はまだ釧路湿原

だと思いますが、個体数が1000羽を超えて、だんだん棲息地が広がっているのでしょうか。野付半島でも毎年た

いてい遠望できます。東北地方に飛来することもあるとか。

 
 大型野生動物が種の絶滅を免れて生存し続けるには、ずいぶん広いテレトリーが必要だそうです。狭い環境だ

と競合が激しくなります。文明以前のヒトの部族もそうだったのでしょうね。縄張りが接近すると部族戦争が起き

やすいと考えられます。第二次世界大戦の軍と民間の犠牲者数は5000万人超。1940年の世界人口は23億人ほ

どだったので、ほぼ46人に1人が死亡したことになります。研究者のなかには、文明以前の部族戦争犠牲者の

割合は、これより多いと言う人もいます。

 未開部族についての情報のかなりの部分は、オーストラリアのアポリジニ、ニューギニア、アフリカ、アマゾン

一帯など、熱帯やその付近の先住民から得らています。最近になって文明と接触した部族が、このあたりに多く

見つかるからです。一般に南方は狩猟採集の素材が豊だというイメージがありますが、実際は温帯や亜寒帯に

こそ、食用動植物の多様性と安定度が勝る場所があったようです。

 日本列島の縄文人は、狩猟採集民としては、世界でも例外的に高い水準に達した文化を持つ集団のひとつと、

認められているそうです。その中心は東北と北海道で、関西以西の縄文人口はわずかだったのだとか。東北・北

海道は狩猟採集に適した動植物がとりわけ豊だったのでしょう。それに、暖かい地方では腐敗が速く進むので、

食糧の長期保存が困難です。東北や北海道では冬の屋外はそのまま冷蔵庫、冷凍庫になります。秋に遡上し

てきた大量のサケやマスを貯蔵して、春まで食いつなぐことができます。

 縄文遺跡の人骨に刃物の傷跡が見つかった例はないから、縄文人は平和な人々だった、というような記述を見

ることがあります。これはちょっと眉唾ですね。ジャレド・ダイアモンドは、20世紀の100年間で戦争関連死亡率が

最も高かったドイツとロシアで、それぞれ0.16%、0.15%だったと書いています(『昨日までの世界』上242頁)。100

0人中2人までは行かないということです。縄文人骨が100年当たり1000体も出土しているはずはありません。両

世界大戦を含む時期のドイツ、ロシアほど犠牲者が多くても、発掘された遺骨に痕跡が見つからなくてあたりま

えです。

 それでも、南方未開部族の例から類推された部族戦争のイメージを、そのまま縄文時代に適用するのは危険

だと思います。わたしは自分に縄文・アイヌ系の血がつながっているような気がしています。だから根拠のない身

びいきみたいなものだけど、こう考えています。縄文の部族間でも、対立や緊張が高まることはあった。だけと゜

激しい部族戦争が頻発するようなことはなかった、と。