午後の雪原


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 2日続きの大雪の後、青空が見えた日の午後2時ごろ、郊外の田園地帯に出てみました。あちこちで車を停め

て撮りながら高台をめぐるうちに、まだ3時にもなっていないのに、夕ぐれの気配が忍び寄ってきました。西方に

雲が張り出してきたこともあるけれど、この日は美幌の日没がいちばん早い日(午後3時46分)でした。

 子どものころいやと言うほど雪を見て過ごし、美幌に来てから7年になろうとしているます。それなのに、一面の

雪景色のなかに立つだけて、なにやら妖しい世界に紛れ込んだような気分がかすかに生まれます。豪雪地帯の

山村で細く踏まれた道をたどりながら、ときどき踏み外して深みに嵌ったことがあります。ワラ靴に入り込む雪の

冷たさ。あるいは冬山で、かすかに残る先行者のカンジキの跡を拾いながら登ったことがあります。長いラッセ

のきつかったこと。そんなとき吹雪になって視界を塞がれると、恐怖さえ感じました。

 でもこの日わたしは、真っ白ではあっても広く除雪された道で、いつでも入れる暖かい車の脇に立っていまし

た。雪が舞っているわけではなく、視界は開けています。心細くなる状況ではありません。それに、妖しい気分に

は、いくらか快感も含まれているような。冷たい雪に包まれ、耐えがたい睡魔に襲われたとき、眠ってしまうとその

まま目覚めないと聞いたことがあります。そんな逝きかたがなんだか甘美みたいな夢想を抱いたことも。

 まだ2時台で昼の盛り。長かった関東ぐらしで染み付いたそういう常識と、たそがれを思わせる目の前の景色が

くいちがって、わたしの意識を混乱させたのかもしれません。目覚めと眠りの境目にも似た意識の混乱に付け込

んで浮上する、さまざまな潜在意識がもたらした気分なのでしょうね。ともあれ、雪原の中に一人立って、そんな

気分に無抵抗に身を任せられるのも、こちらにくらす魅力のひとつです。とはいえ、このところ毎日続いている雪

かきには、ちょっと気が重くなりますが。近所の人の話では、わたしがここに来る前はこんなではなかったそうで

す。