小鳥たち
サイタマンさん、あなたのコメントにあったネット空間への期待で、わたしにはその発想がなかったと気付きまし
本的ネット空間論に影響されていたのかなー、と。
例えば濱野はこんなことを言っていました。アメリカではネットが「国家対市民」という対立構造で動いてきたの
に、日本ではお昼ご飯誘う程度の無内容なコミュニケーションを起点に普及した(85・86頁)。「アメリカでは大統領
選挙などで、インターネットというコミュニケーション装置が「公共圏」として機能する。」「でも、それは日本では真
似できないシステムですね。日本ではどれだけネット上でまじめな議論をしても、それがすぐネタ的な空間に回
収されてしまうし、ネタ的な議論でないと通用しない。」(96頁)、などと。
相互的なコミュニケーションツールを使って、匿名的集合知を創造的に使うのは日本人が得意だ(AKB48と
か、初音ミクとか)、とも語られています。正面からの議論ではなくて、空気を読んで行動する伝統があるのだ、
と。これを承けて考えると、官邸前の原発デモにはネットが使われていたのかもしれませんが、個人個人の止
むにやまれぬ強い意志を結びつけたというより、なんとなく「空気を読んで」行ってみたら、意外と安全で楽しか
った、という面もあるような気がしてきます。
だとすると、時代が進めば変わると思うけれど、今度の選挙でネットが波乱を起こすことは期待できないかも。
第一、ネットを選挙運動に使うと違反になる制度だしね。
はベッドルームの窓の外でよく啼いています。開け放してじっと待つ気があればいつでも撮れそうですが、入って
来る寒気を思うとなかなか実行できません。