秋のヒマワリ
10月だというのに、農道の両側にヒマワリ畑が長く伸びていました。街では8月に終わっていたような。種を蒔く
時期を遅らせれば秋に咲かせることもできるのでしょうね。種から油をとる話は聞きません。もうすぐ鋤き込まれ
て、緑肥にされると思います。
悟りの境地が誰にでも
世界のあちこちで、ときには死にそうになるほど厳しい修行をして、悟りを開いた修行者がいたと伝えられて
います。もしその境地が、「時間や空間を超越してすべての人や物がひとつにつながっていると感じ、神聖な
喜びに包まれたような感覚」だとすれば、遠くない将来、望む人は誰でも、それを体験できそうです。引用は「
の一年後の報告では、「気分や態度やふるまいに良い変化が現れ、人生に対する総合的な満足度が目に見
えて向上した」。「この経験は、わたしの精神が速やかに解放され、広がっていくのをたすけてくれたように思え
る」のだそうです。
記事によると: 1970年に幻覚剤が規制され、医療目的の幻覚剤研究が停滞していたが、2000年以後厳密に
科学的な手法による研究の、新しい波が起きている。シロシビンは脳細胞のセロトニン受容体に働きかける。
めったに幻覚作用は起こさない。だが幻覚剤の実験は、被験者が不安、妄想、感覚異常などを経験すること
もある(頻繁ではない)ので、臨床心理学者の周到な準備と熟練した指導者の同席が必要だ。その配慮のもと
で行われたこれまでの実験では、後々まで残る悪影響はなかった。古典的な幻覚剤に依存性はない。先の
引用以外の被験者も一般に、「自信が増し、心的な満足度が高まり、欲求不満に耐えやすくなり、不安が軽く
なり、全体的な幸福感が増していた」。被験者のこんなコメントもある。「すべてはひとつなのだという感覚を経
験する。宇宙の本質を感じとり、神がわれわれに求めるのは、ただ愛だけだと知る。自分は独りではない。死
は怖くない。そして、自分自身に対してもっと寛容になる」。さまざまな実験から、幻覚剤は、アルコール・タバ
閉症などの治療に有望であるとわかってきている。
わたしが「悟りの境地」と呼ぶ経験を、記事の筆者は宗教的な「神秘体験」と解釈しています。キリスト教文化
のなかで育てば、神や愛と結びつけたくなるのかもしれません。しかし別な解釈もできます。たとえば:ヒトの
脳は物質とエネルギーでできている。わたしたちも物とエネルギーの一形態だ。その点では石ころや雲などと
も同じ。生物は生まれては死ぬことを繰り返し、35億年余をかけて現在の姿にまで進化してきた。わたしたち
はさまざまな物やヒトという生物の小さな小さな一部。普段は意識していなくとも、脳のなかにはもともとその
感覚があるのかもしれない。文明以前の人々はその自覚があったから、文明人より幸せだった。文明ととも
に、人々の自他を区別する自己意識が肥大し、物やヒトとの自然な結びつきのなかにいる安らぎの感覚が意
識の奥に沈み、独りのさびしさにのたうちまわることになった。苛酷な修行や幻覚剤の作用で、たまさか万物
につながっている感覚が甦るのだ、と。
ともあれ研究が順調に進めば、リスク回避のマニュアルが洗練され、近い将来さまざまな障病の治療に幻
覚剤が用いられることになりそうです。本人や他人に害を及ぼさない使用方法が確立した後はきっと、健常者
が気持を楽にするための使用も合法化されます。誰でも望めば「悟りの境地」を経験できるということです。日
々のくらしに満足する人が増えて、争いが減り世のなかがもっと平和になるでしょうか。しかし一方で、死を恐
れず他人を信じやすくなった人々が、金儲けや、偏狭なナショナリズムや、宗派争いに利用される心配もあり
ます。「悟りの境地」の上にどんな信念や思想が築かれるかが問題です。オウム真理教の例もありますから。