沼ではなくて海です
海ではなくて池か沼みたいだけれど、これでも野付湾の海面です。野付半島を地図で見ると、砂洲がエビの脚
や尻尾みたいにたくさん伸びています。胴体にあたる道路から見える海はその間の狭い部分だけ。今にも降り
そうな天気で水は灰色です。その上対岸が見えていたり囲まれていたりすると、ますます池や沼のような感じに
なります。
橋下現象の危険なにおい ③
8月20日の朝日新聞文化欄に、「「橋下現象」熱狂的でなかった?」という記事が載っていました。二人の
立候補に投票する傾向が見られたという」、と書かれていました。記事は雑誌「世界」に発表された、もうひ
とつ別な調査結果にも言及しています。ここでも、「市長への支持率は、自身を階層的に「上」「中の上」と
見る人たちで高く、「下」と答えた人たちでは低かった」のだそうです。
橋下市長の熱心な支持者が少ないのは下層です。この層の人々は競争環境の自由化にあまり関心が
ないのだと思います。出世意欲が旺盛な人が多いのは、上層や中層の上、すなわちエスタブリッシュメント
とその予備軍。それより下の層だと、橋下さんのような人もいるけれど、多くの人はくらしに窮することのな
いそこそこの水準でいいと思っているのではないでしょうか。記事にある初めの調査で、「熱心な支持者」は
18パーセント、弱く支持する「穏健層」が8割以上だったそうです。しかし実際の選挙で維新の会の橋下さ
んと松井さんに投票したのは、「穏健層」も9割以上、支持しないが好ましいと感じる「潜在」層も4~5割だと
か。わたしが危険なにおいを感じるのはこの点です。
階層的序列が秩序の基本にある社会では、富や権力のトップはごく少数の個人・家族に占められます。
序列が下がるにつれて数が増え、真ん中より下が大多数のピラミッド型がふつうです。みんなが勝ち上が
ろうと精力的に競うとしても、トップまで行くのは一握りで、大多数の人はどこかで敗者の自分を知ることに
なります。人生の競争は、同じスタートラインから用意ドンで一斉に走り出すわけではありません。属する
層のちがい、生まれながらの素質、育つ家庭の文化、さまざまな偶然で芽生える興味・価値観の方向な
ど、多様なハンデやアドバンテージを抱えて、ばらばらに走り出します。富と地位を目指す競争が奨励され
る社会では、例えば、受験競争に適応的な環境や資質はアドバンテージですが、美しいものや好奇心をそ
そるものに心を奪われたり、周りの人たちとの穏やかな関係がだいじに思えたりして、競争に熱中できない
のはハンデです。
部分なのですから、競争社会の熱心な賛同者は実はわずかなはずです。社会がそれをはっきり意識したら、
勝者は自分を誇ることができません。せっかく得た権力の価値が低下します。勝者がますます栄え敗者が貧
リカには敵意をもちません。新自由主義者は自由競争を国外に拡大し、外国の貧しい人から搾取して儲け、
そのおこぼれで国内の中間層を抱きこみたいという思惑があります。だからアメリカと協力してTPPなど、経
済活動の国際的自由化を推進しようとします。権威主義的で保守的な国内政策、対米協調、国際経済関係
新の会と安倍元首相の蜜月関係が報じられるのも、わたしは当然だと思います。(明日に続く)