道路脇に黄花が群れる
そらさん、東電OL殺害事件の犯人とされて服役していたネパール人は、先ごろ再審開始が確定して出獄し、
妻子の待つ祖国へ帰国することができました。ようやく冤罪が晴れるようです。
と名前を変えます。開陽台へはこの道をたどることになります。牧場地帯に入る前、林の終わり近くで、何度も
道路脇に現れる黄色い花が気になって、車を停めて撮りました。アラゲハンゴンソウです。あまり歓迎されない
に入れられたようですが、道内ではあちこちで野生化しています。
ピダハン―類を見ないほど幸せな人々⑧
現代では性的に自由な育ちも増えているようですが、父親などを通じて性的抑圧を深く内面化している女性
の場合、そこからの離脱は難事業です。性を意識して、父親の男性性を「汚い」と感じるようになるのは、とに
かく離脱が始まったことを意味するので、本人にはむしろ幸運なことかもしれません。斉藤の解釈のように、
泰子は離脱をはたす前に父親に死なれ、「固着」が解けることがなかったとすれば、事態が深刻になるのは避
を除けば、あくまで精神的です。いわば究極的な節操と純潔が貫かれた対関係です。それだけに、父なる者
によって行われる性的虐待は、女児の心の統合を破壊する危険があります。
泰子は父親と同じようにまじめに努力して優等生の地位を維持したのでしょう。言い換えれば、最初に父親
によって彼女の心にもち込まれた価値観に忠実だったということになります。まじめに努力して地位を上昇さ
せたいという望みは、東電入社までは順調にかなえられ、そこで壁に突き当ったようです。女性だから上昇を
遮られたのだと本人が思えば、男性本位の社会を恨むか、自分が女であることを恨むか、どちらかになるでし
ょう。泰子はまじめで、最後まで東電という一流企業に愛着があったようです。それが、努力して上昇する者こ
そ優れているという、社会(父親)の価値観に同化していたことの現われだとすれば、自分の体を恨む方になり
ます。上昇努力の放棄は自分のなかに取り込んでいた父親への裏切りです。もはや彼の貞節な娘であること
はできません。
佐野は2001年2月に開かれこの事件をめぐるシンポジュウムを話題にしています。800人ほどの参加者
ンポジュウムは自分の性体験と泰子の悲劇を重ねあわせる女性たちを惹きつけるものだったようです。
佐野は著書に反応を寄せた三人の女性に会って話を聞いています。一人は九電力のひとつに父が勤め、
自分も結婚前はそこで働いて、いまは公務員を夫にもつ専業主婦。彼女は義父に迫られて関係したことがあ
り、夫との性生活に満足できず、35歳以後夫以外のたくさんの男と一時的な性関係をもちます。それでも夫
を愛しているのだそうです。(256-263頁)
次は京都の大学を出てドイツに留学し、その当時は共産党地区委員会で働いていた女性。党について彼女
はこう語ったとされています。「完全に一握りの幹部への奉仕の精神で動いている・・・・・男だけの論理が働く世
界です。」「自殺寸前まで追い込まれている女性党員・・・・・のことを考えると泰子さんの行動は、非常によく理
解できるし、ある種うらやましくさえ思うんです」。それでも党をやめなかったのは、「世の中には共産党以外誰
も相談する相手がいない淋しい人もたくさんいる」と思ったから。(280-285頁)
三人目は泰子の場合と同じく東電の社員で、父親も東電に勤めていた女性。彼女は詩を書いています。「詩
を書くことで・・・・・『性愛』を通して他者との関係を修復する、世界との関係を修復するということをずっとやって
きました。それを泰子さんはいきなり自分の肉体でやってしまった。そんな気がしています。」 (286-294頁)
この本は、職場や家庭の性差別と性的抑圧が重なる世のなかの息苦しさに追い詰められたとき、女性は「
堕落願望(279頁ほか)」を抱く、というストーリーを提示しています。女性の「堕落願望」がどれだけ一般化でき
るものか、わたしにはわかりません。ただ、このストーリーがリアリティーをもつのは、性的抑圧と序列秩序の
両方を、無意識領域の内部に取り込んでしまった女性のケースではないかという気がします。初めから上昇
願望などもつことなどできない貧しい環境で育ったり、自分や子どもが生きるために割り切って売春したりす
る女性では、別な種類のストーリーになるのではないか、と。その場合、性的抑圧も権力的階層秩序も心の
内部ではなく外の社会にあるので、堕ちる(=性的抑圧と序列秩序の外へ出る)ことで自由になろうとは望まな
いのではないでしょうか。身分制が自分の外の秩序でしかない江戸時代の庶民は、あっけらかんと性を楽し
んでいたようです。だから彼らは来日外国人の目に幸せそうに見えました。とにかく、性と経済社会的地位に
かかわる権力的な抑圧は表裏一体だと思います。ピダハンには性的な抑圧はありませんでした。それなら社
会に権力的強制力もなかったはずです。(明日に続く)