密集する牛の群れ
開陽台の広い牧場で牛たちがうじゃうじゃと一ヶ所に集まっています。900草原や多和平など、風が強い丘上の
ほかの牧場でも同じような光景を見ました。風を凌ぐためなのでしょうね。いったい何頭いるのでしょう。
ピダハン―類を見ないほど幸せな人々⑦
文庫 2003年刊)をとりあげます。ただし、たくさんの女性が自分の人生を重ねて他人ごととは思えなくなった
という、殺害事件被害者である渡辺泰子の生き方だけが対象です。ここでは事件の詳細や犯人とされたネパ
ール人の冤罪には触れません。
この本によると、渡辺泰子の父は苦学の末に東大を出て東電の重役一歩手前まで行った人です。母親は
室町時代から続く名家の娘で、兄弟のほとんどが医者になっています。泰子は1957年生まれ。慶応女子高
校から慶応大学経済学部に進みます。大学在学中に父が50代で病死。彼女はその志を継ぐように父の死の
3年後(80年)に総合職として東電に入社し、企画調査部に配属されます。東電には海外留学制度があるので
すが、彼女はその試験に失敗したようで、ライバルと目されていた東大出の女性がハーバード大に行きます。
究所に出向していますが、佐野はこの出向先がエリートコースから外れるものだと考えています(428頁)。こ
長に昇進。東電勤務のかたわら、ナイトクラブに勤め、91年から街娼を始めます。96年には街頭売春と並行し
てSMクラブ『マゾッ娘宅配便』にも籍を置きました。彼女の絞殺死体が木造アパートの空室で発見されたの
は、97年(39歳)のことです。
のない専業主婦の母親を軽蔑していたと、考えています。「父親に固着した結果、父親がわりの男として生き
ようとしても、」女としての「自分の体への復讐みたいな感情が生まれてくる。」だから自分の体への復讐と同
時に母親に対する処罰として、売春しそれをあからさまに母親にわからせようとした、と。(125-134頁) 佐野
は、彼女は父が勤めた「東電を死ぬまで愛しつづけた」と表現しています。彼は、「泰子の行動は、男性支配
原理に貫かれた東電からはじきとばされたOLが、性を武器にして、たとえ一刹那ではあろうと、男を逆支配す
る瞬間をもつための行動だったと理解することも可能だ」、と書いています。(262頁) 職場の全員が彼女の売
春を知っていながら、誰もそのことを問題にしたかったのだそうです(209頁)。彼女が一日四人の客を取るノル
マを自分に課し、客の電話番号、名前、料金を手帳に記録していたことに触れ、佐野は、「おそらくこれほど律
儀な売春婦というものはいなかったと思います」と、感想を述べています(229頁)。
性的感情の父親への固着。思春期に父親の男性性を「汚い」とする感覚。自分を母と同体視して、父の裏切
りを「処罰」しようとする衝動。男はすべて女を裏切る浮気で不実な存在という認識。全部同根だとわたしは思
います。人の出入りが多い農場や職人仕事の親方の家などは別ですが、普通の勤め人の家庭はたいてい閉
された世界です。入園前の女の子にとって父親は、そこで唯一の成熟した男であり、同時に外の社会を代表
する存在です。幼児は保護されなければ生きられません。だからかわいがられるための本能があります。い
ずれ芽生える依存感情には、母親に対するのとちがう性的な情感がまとわりつくでしょう。女児にとって父親
は、性的な対象であると同時に、社会を代理する存在です。取替えが利かない絶対的な男であり、彼が求め
る純潔や従順には社会的な重みが伴っています。父親への性的感情と社会の性倫理や序列秩序が渾然一
体になって、幼く無意識な心に内面化されます。
ピダハン社会では、集落が大家族のような機能をもち、家族内のこともほとんど集落全体に筒抜けです。解
放的な住居には父親のような男たちも遠慮なく出入りし、しょっちゅう外で焚き火を囲んで大人も子どももいっ
しょに飲み食いします。幼いときから性的会話や性行為をあからさまに見聞きするでしょう。未婚者が容易に
性行為を成立させることができ、婚外性交や乱交の機会も多く、結婚・離婚・再婚も当事者の合意以外は手
続きが不要で、子どもでも性行為が禁じられていない社会です。女児は早くから父親も男のひとりだと認識す
るでしょう。父=娘関係が深刻なトラウマになることはまずないと思います。
対となる二者の性的意識は内に閉じる傾向があります。一途に相手を想いあうカップルの関係は感動的で
す。だけど、二人の想いがいつも重なり合うわけではないし、時間が経てばだんだん食いちがう機会も増えま
す。それがトラブルの原因になるのは、きっと今も昔も同じです。身分や階級がある社会では、二人のお互い
に対する気持ちより、家、一族、社会秩序などの都合が優先されます。その結果、無理やり夫婦の形を継続さ
せようとする力が働きます。女性に忍従が強制され、憎悪が内攻したり、報復や制裁などの事件が起きたりも
します。ところがピダハンには、受け渡すべき家門の名誉も地位も財産もないので、強引に結婚を継続させる
理由がありません。それでも性をめぐるトラブルはあり、それが共同体の結合に亀裂を入れるのは困ります。
だから二人の気持ちに寄り添いながら平穏に解決する工夫が行われます。その営みは集団の共同意識を賦
活させる契機としても重要です。
欧米的な現代文化が行きわたった社会では、表向きは二人の合意で結婚も離婚も婚外性交渉も自由にで
きることになっています。とはいえ、地位、収入、育った家庭の文化・価値観など、性のトラブルに絡んでくる
社会的要因は残っています。それらが、父=娘関係を通じて無意識に刻まれた性的抑圧と混じりあうと、トラ
ブルが深刻化になります。父を知らない女性も、父親に存在感のない家庭で育つ女性もいます。欠如感と自
由のどちらが大きいかは一概に言えません。もっとも、抑圧的な倫理や価値観をもたらすルートは他にもあり
ます。父=息子関係や母子関係の不全も無意識領域に傷を残すし、友だち仲間を通路とする社会の影響は子
ども期の意識的意識をほとんど決定します。特に母子関係は重要ですが、いまのわたしには論じる用意があ
りません。(明日に続く)