波頭のきらめき

 そらさん、庭の芍薬が蕾から開いた花までさまざまにそろっている日に、10分ほどで全部撮り、ほころびが進

んだ順に並べました。一輪の花を毎日撮ったほうがおもしろいけど、なにしろ怠け者なので。

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 オホーツク海の波が小清水原生花園の砂浜に砕ける光景です。小さな泡がたくさんできて、ちょうどいい角度

で光を受けたものがきらめいていました。いつものことながら、盛り上がる前や砕けたあとの穏やかな海面には

粘度が感じられます。プランクトンが多いからでしょうか。手を入れてみるとさらさらしてはいるのですが。7月15

日の日曜でした。真夏のはずですが風が冷たく、浜に来ている人の誰も水遊びはしていませんでした。


ピダハン―類を見ないほど幸せな人々⑥
 
 エヴェレットはピダハンの性的および親和的関係について、次のように書いています。
 
 
 ピダハンたちはどの村の出身者であろうと全員が親しい友人のように見える。まるで自分以外のピダハン

のことをとてもよく知っているかのように話す。これはひょっとしたら、肉体的な接触の濃さに関係している

のではないかとわたしは睨んでいる。離婚に対して後ろめたさがなく、比較的簡単に夫婦別れをすること

と、踊りや歌に乗じて乱交すること、思春期前後からあまりためらいなく性行為を試していることを考え合わ

せると、多くのピダハンが多数のピダハンと性交している割合がかなり高いと推測したとしても、あながち的

外れではないはずだ。このことだけとっても、ピダハンの関係がもっと規模の大きい社会にはない親密さに

よって成り立っていると考えられる(性交する者同士が同居する社会と言えるだろうか)。想像してみてほし

い。同じ町内に住むほとんどの隣人と性交渉があり、社会全体がそのことを善悪の基準で見るのではなく、

たんにありきたりの人生のひとこまと見なすとしたら―そう、たんにいろいろな料理を試食してみたとでもい

うように。(127)
 

 わたしはエヴェレットの「睨んでいる」ことに異論があります。吉本隆明が彼の幻想論でたびたび書いている

ように、カップルの対の意識(=性的関係)は、二人だけが共有する心的世界の内部に閉じていきます。婚姻

儀礼や夫婦であることの社会的承認は、二人の内閉する心的世界を核とする関係の永続を願うものです。な

ぜ第三者が永続を望むのか。夫婦は、生まれる子を誰が責任をもって養育すべきかを決める基準になり、夫

婦と親子から枝葉のように伸びる兄弟姉妹やその他の親族関係が、社会的結合の骨格になるからです。しか

しヒトは、ある種の鳥や獣とちがって、生涯の伴侶をひとりに固定するようには遺伝的にプログラムされていま

せん。わたしたちの心は婚外性関係にも開かれています。配偶者以外の異性や同性との性的関係が深まれ

ば、そこにも内閉的な心的世界が育ち、既成の夫婦関係を動揺させます。だから性は社会的親和関係に違

和をもたらす最も危険な要素です。対なる関係(性的関係)と社会的結合の矛盾にどう対処するかは、文化の

質にかかわっています。

 知られているかぎりでは、どの文明も夫婦と家族を固定的な制度の枠内に押し込めることで、なまの性的欲

求を抑圧して社会的結合を護ろうとしたようです。だから純潔、貞節、愛などの、ヒトの自然にとって無意味な

観念が作り出されました。ほとんどの場合、女性の側により強く抑圧が作用します。しかしわたしたちは『ムダ

の効用』のなかで、グイの人々が性にかかわる葛藤にちがう対応をしたことを見ています。彼らは制度的な強

制力に頼らず、ケースバイケースで柔軟に対応しました。人々は繰り返し葛藤に至った出来事を物語として語

り、さまざまな事件の落としどころを探ります。お互いに、強制力に頼らず、社会も当事者もできるだけ傷付か

ない解決を探りあう営みを通じて、自分たちの価値観を再確認し集団の親和を賦活させました。

 ピダハンの場合も、性的接触の広がりそのものが社会的つながりを強くしたのではないと思います。どんな

に気軽に誰とでも性交できたとしても、その一つ一つが対なる心的世界に内閉する傾向を孕んでいます。性

関係が集団に向かって開かれることはありません。そうではなく、社会集団の結合にとって最もやっかいな性

的葛藤を制裁や強制なしにみんなで解決する営みが、人々のしなやかで穏やかな社会的連帯の意識を繰り

返し呼び覚ましているのだと思います。前回、妻が浮気した夫を懲らしめる場面を紹介しました。妻は大声を

あげることなく、夫にケガをさせないようにしながら、自分の怒りをきちんと表現します。夫は夫婦を解消するつ

もりはないので、逆らわずに痛みに耐え、笑いで自分の非を承認します。周りの人々も笑ったり語りあったりし

ながら見守り、暴力も強制もなしに解決に至る道筋に満足します。浮気だけでなく、離婚と再婚でも基本的に

は同じなのだと思います。当事者が暴力なしに決着をつけるように、周りの人々がそれとなく見守り誘導し、当

事者もその配慮を理解している。そんな形で彼らの価値観と社会的絆が再生産されるのでしょう。最もやっか

いな性的葛藤に対応できるのなら、同じ態度が他の社会的事件にも有効なはずです。

 次回はわたしたちの現在の性をピダハンと対比して考えます。(続く)