色あざやかなハマエンドウ


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 どこの海岸にもある花でとくに珍しくはないのですが、晴れた日の早朝小清水原生花園で、さわやかな緑のな

かに群れているのを見て、そのあざやかな色にやはりシャッターを押しました。



ピダハン―類を見ないほど幸せな人々①
 

 わたしはピダハンが心配だというのを聞いたことがない。というより、わたしの知るかぎり、ピダハンに

は「心配する」に対応する語彙がない。ピダハンの村に来たMITの脳と認知科学の研究グループは、ピ

ダハンはこれまで出会ったなかで最も幸せそうな人々だと評していた。そういう観測を実測する手立てが

あるのかと尋ねると、ひとつの方法としてはピダハンがほほ笑んだり笑ったりする時間を平均し、アメリ

人など他の社会の人々がほほ笑んだり笑ったりする平均時間と比較してみることができるという答えが

返ってきた。MITのチームは、ピダハンが楽勝だろうと予想した。(後略)

 ピダハンとともに長い時間を過ごしてきた(30年―引用者)わたし自身の印象としては、MITチームの予

測は正しい。ピダハンは類を見ないほど幸せで充足した人々だ。(後略)
 

 以上は『ピダハン』(D.L.エヴェレット 屋代通子訳 みすず書房 20123)の最終2(384385)からの

引用です。ピダハンは人口が400人を割るアマゾン先住民です。エヴェレットは、彼らの言語がチョムスキー

の普遍文法論を揺るがす特徴を備えているとして、全頁の半分近くをその説明に充てています。それもそれで

おもしろいのですが、わたしがもっと興味をそそられたのは、人の幸せの根源にあるものを示唆すると思え

所です。そのようなところを引用したり簡略して紹介したりしながら、わたしの感想をつづってみます。
 

 ピダハンはどんなことにも笑う。自分の不幸も笑いの種にする。風雨で小屋が吹き飛ばされると、当の

ち主が誰よりも大きな声で笑う。魚がたくさん獲れても笑い、ぜんぜん獲れなくても笑う。腹いっぱいで

も笑い、空腹でも笑う。(後略―122)
 

 彼らが笑っていられるのは楽園でくらしているからではありません。「ピダハンはひとり残らず、近親者の死

を目の当たりにしている。愛する者の亡骸をその目で見、その手で触れ、家の周りの森に埋葬してきたのだ (8

4)」。近くに病院はなく医者もおらず、ジャングルには道路や電話も通じていません。ちょっとした病気でも容

易に命を落とします。そして葬式のとき、食べ物を用意してくれる人はいません。「母親が死んでも、子どもが

死んでも、伴侶が死んでも、狩りをし、魚を獲り、食料を集めなければならないのだ。誰も代わってはくれない 

(同前)」。 それでも笑っていられるのは、生きているあいだは生き死ぬときは死ぬというあたりまえのことを、

自分についても大切な人についても、あたりまえのこととして受け入れているから。わたしはそう思いました。

(続く)