遺跡の森のスミレたち
春から夏へ短期間で移り変わったので、このところアップしたい写真の滞貨が大量に発生しています。今日の
がそれかどうかはわかりません。
ピダハン―類を見ないほど幸せな人々②
あるときエヴェレットは、ひとりの母親が病気で死に、衰弱した赤ん坊が残される場に居合わせます。乳児の
いる女性は何人かいました。でもみんな自分の子の授乳で精いっぱい。ピダハンは「赤ん坊は死ぬ。乳をやる
母親がいない」と言います。彼らはその子の世話をするというエヴェレット夫妻の申し出にうなずきますが、「だ
が赤ん坊は死ぬよ」と。夫妻は3日間ほとんど寝ずにがんばり、赤ん坊は持ち直したようでした。そこでほっと
した二人は、父親に子どもを見ていてくれるように頼んで、つかの間のジョギングに出かけます。ところが戻っ
てみると、ピダハンが集まっており、赤ん坊はお酒を飲まされて死んでいました。(135-139頁)
エヴェレットはそのときは衝撃を受けますが、しだいにピダハンの行動に納得がいきます。母親が死んで生
き延びた赤ん坊はすべて、申し分なく健康な状態で残されていました。この地では頑健でなければ生きられま
せん。彼よりずっと多くの死者や死にかけの人たちを身近に見ているので、「ピダハンには、死が見えるのだ(1
36頁)」と思うようになりました。彼らはこの赤ん坊が「間違いなく死ぬとわかっていた。痛ましいほど苦しんでい
ると感じていた。・・・・・・だから赤ん坊を安楽死させた。父親が自らの手で喉にアルコールを流し込み、苦しみ
を断ったのだ(138・139頁)」と、納得します。
エヴェレットは「ピダハンが死に無頓着というわけではない」として、それで子どもを救えると思えば助けを求
めて何日でもボートをこぐだろうと言います。じっさい彼は、すぐに来て病気の子や伴侶を看てくれと、男たち
にたびたび夜中に起こされています。「その顔に刻まれた苦悶と心痛は、ほかの何ものにも劣らず深いものだ
った」と書いて、彼はこの節を次のように結んでいます。(85頁)
だがピダハンが、必要なときには世界中の誰もが自分を助けるべきだと言わんばかりにふるまったり、身
ない。それが現実なのだ。ただわたしは、まだそれを知らなかった。
わたしたちは死ぬときは死ぬと、なかなかシンプルに受け入れることができません。自分の死が避けられな
いとわかったり大切な人が死んだりすると、介護者の怠慢、ウデの悪い医者、医療不備、進歩が遅い医学、
貧困、貧弱な社会保障、誰かの悪意、健康情報のまちがい、知識不足、親や学校の教育の欠陥、遺伝、運、
神様など、何ものかに恨みを向けたくなります。または、天国や死後に残る財産・栄誉に気もちの救いを求め
ます。死にたくない、あるいは死後に救いを、という願望に駆り立てられて文明は進歩した、とさえ言えそうな気
がします。知識・技術と国家・産業の発展は長寿をもたらす(はず)。財産・栄誉は、社会によって濃淡はありま
すが、子孫繁栄の因(よすが)。
後に触れますが、ピダハンは抽象概念をはっきり拒否します。自分や仲間が直接体験したものではないか
らです。4代以前の祖先を意識することはありません。自分にも仲間にも交流の経験がない対象だからです。
抽象概念拒否は、数や色を示す単語を欠落させるほど徹底しています。数や色は抽象です。モノを離れた1
や緑は想像のなかにしかありません。精霊の存在は信じます。「生きる」に含まれる環境の具象化です。じっ
さい彼らは精霊をまざまざと見ます。直接見聞きしていないものには信を置かず、天国や神の観念もないの
だから、死ぬときは死ぬのが生物にとってあたりまえの現実だと、受け入れるしかないでしょう。そのほうが、
生きているあいだは笑って生きることができると思います。
農耕化(=文明化)以後の日本には、禅僧や武士道探求者など、修行で死の恐怖を克服した人がいたようで
す。わたしは宗教書も『葉隠れ』も読んだことがないので無責任な感想ですが、彼らの多くに、その境地を「悟
り」として誇る生臭さがあるような気がしています。死ぬときは死ぬのは、慫慂(しょうよう)として受け入れようが
泣き喚こうが変わりません。ならば、じたばたしても泣き喚いてもいいのではないでしょうか。(続く)