流氷さまざま6 はぐれ氷

まりさん、日本に来ると精力的に動いていらっしゃるようですね。どうぞたくさん楽しんでください。

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 流氷が離岸した後にはこんなはぐれ氷がしばらく残ります。海開けの前もこんな風景になります。小型漁船だ

とぶつかればそれなりに衝撃がありそうですね。残氷で事故という話は聞いたことがありませんが。


政治の現在と未来についての感想 10
                 ―――公の私性
 
 政治家、役人、法律家、学者、言論人など、自分の仕事は「公的」だと思っている人々を公人と

びましょう。公人の反対語が私人です。私人は家族と地域的・職業的部分集団のなかで、経験


を通じて知を蓄えます。その知は、生まれながらの資質、家族や家族の属する社会集団、そのな


かでの個人の地位、などが絡む情緒的体験と結びついて発達します。したがって、多かれ少なか


れ主観的です。公人は全体利益を代表すべき立場にあります。私人にはなしえない組織的なや


り方で情報を総合し、専門家に諮り、究極的には全体利益につながる客観的な決断を下す、こと


になっています。それを社会が信じなくなれば政治は停滞します。専門家は法律、経済、軍事、


教育、社会政策など、さまざまな分野の客観知を代表すると考えられていますが、これまで最も


客観的だと信じられていたのは、科学(特に自然科学)でした。


 わたしは科学を、理論と実験と観測によって検証された客観知を積み重ねる営み、と考えてい


ます。たどる知識のある人なら結局だれもが同意せざるを得ない理論が、複数の試行で常に同じ


結論が得られる実験や観察で検証されて、定説が確立します。しかしデータは増え、理論の道具


(数学やコンピュータ)も実験観察の装置もどんどん進歩します。その結果、かつては認識が及ば


なかったところまで検証されて、書き換えられる定説もあります。そして、ヒトの客観知が解明でき


ていない自然現象がたくさんあることも、物理世界の根底には因果律では説明できない、確率や


偶然が係わる現象があることも、わかってきました。科学はどこまで行っても、すべてを知りつくす


ことはできないのだと思います。


 紙とペン、手作りの装置だけでできる研究は少なくなりました。たくさんの研究者・技術者がチー


ムを組み、巨大な装置を駆使する分野が増えて、それぞれが必要とする資金も高額になります。


企業や国への依存度が大きくなりました。例えば地震津波の研究についてなら、企業はどこに


工場を建てたらどの程度の地震津波リスクがあるかを、国の防災担当者はどれほどの規模を想


定したらいいのかを知りたがるでしょう。研究者はメカニズムの基礎研究やデータの蓄積より、彼


らの要望に応える方が資金を得やすくなります。既知のデータを既存のモデルで計算すればある


確率値が得られます。企業や国が拠るべき根拠を欲しがるので、その計算結果は公表されます。


研究者は、すでに必要なデータがすべてそろい、完全なモデルが作られているという段階ではな


いと知っているはずです。しかしそれを言ったら予算を得にくくなるので、きっと数字の一人歩きを


見て見ぬふりをしたくなります。


 前世紀後半の日本で、経済的繁栄こそが国民の全体利益という考え方が支配的になりました。


そのころ、指導的な経済人、政治家、役人、マスメディアなどの間で、化石資源が乏しい国なのだ


から、エネルギー効率のいい原発を推進して経済発展に役立たせようというコンセンサスが成立


したのでしょう。国民は経済的繁栄を目指すことには同意しても、広島・長崎の原爆や第五福竜


丸の水爆実験による死の灰被爆があって、放射能には強い警戒心がありました。国民の「核アレ


ルギー」を抑えるため、「平和利用」を強調するとともに、原発は安全だというキャンペーンがさか


んに行われました。そこで大きな役割を担ったのが、原子力実用化や放射線医学の専門家でし


た。放射線被曝リスクの過小評価する言説は歓迎され、リスクを強調する研究者は発表の場を狭


められました。


 研究者は後に誤りが判明する仮説に執着することも、未熟な段階で研究結果を発表することも、


よくわかっていないのにわかっているふりをすることもあります。職業上の便宜や、社会的な地位


や、収入への個人の思惑は、それらのまちがいを増幅させる要因になります。同じことが、政治、


行政、法律、経済・社会制度設計、言論などに携わるさまざまな公人についても言えます。公的


な判断・決断をするのは神でもコンピュータでもなく、「私ごと」をも生きる人です。政権を手にした


統治者は、自分が全体利益を実現するために客観的に考えて最もいい政策を実行しているのだ


と主張しますが、反対派や被統治者である私人は、特定部分集団の私益や私的価値観が全体


利益として主張されているのではないかと疑います。


 東日本大震災津波はほとんど警戒されていなかった地域で発生し、専門家の想定を超える大


規模な災害になりました。フクシマ原発事故は、繰り返し聞かされてきた「原発は安全だ」という


公的見解の偽りを白日のもとに晒し出しました。いま人々は公的判断の客観性を強く疑っていま


す。さらに、「国の経済的繁栄が全体利益」という前提にさえ、疑いが及ぼうとしています。学者を


含む公人は、自分たちの属する集団の私的利益を客観知の外見で飾っていたのではないのか、


「国の経済的繁栄」は他人の生活を犠牲に自分たちの利益を貪る口実ではなかったのか、と。「


公」とは有力な公人の私益を偽装する手段だったのではないかという疑念が、いま人々の意識下


で膨れ上がっている、わたしはそんな気がします。(続く)