ノツカマフチャシ跡


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                          7月8日 根室市

  ノツカマフチャシ跡は根室海峡に面した崖上にありました。牧の内地区の道道

35号線沿いに小さな駐車場があり、そこから気持ちのいい草原の道をしばらく歩

いて到着しました。    

 チャシについてはウイキペディアから引用します。

 「チャシの分布は東蝦夷地(太平洋側のアイヌ文化圏)と呼ばれた道南

多く、特に根室釧路十勝日高地方に集中している。これはシャク

インの勢力圏と一致している為、シャクシャインらが和人と戦う中で多く

チャシが築かれたのではないかと推測されている。

 「チャシの分布は東蝦夷地(太平洋側のアイヌ文化圏)と呼ばれた道南

多く、特に根室釧路十勝日高地方に集中している。これはシャクシ

インの勢力圏と一致している為、シャクシャインらが和人と戦う中で多くの

シが築かれたのではないかと推測されている。

 「チャシがアイヌ族の施設として一般的であったのは16世紀から18世紀、

近世アイヌ文化期であると考えられている。チャシの成立時期は不

明であるが、擦文文化期の遺物や遺構を伴うチャシコツが見つかっていな

いことから、宇田川は最も古くても14世紀が限界ではないかと指摘してい

る。

 「チャシの用途については現在でも諸説あり、結論は出ていない。チャシ

に登場するのは17世紀以降で、殆どが和人の残した記録であるが、

の時アイヌ族と和人との間で戦争状態が続いていたこともあり、

はチャシを砦として認識していたようである。(中略) 現在では、チャシ

の用は複数あり、時代を経るにつれてチャシの主用途は変化していった

のではないかと考える研究者が多い。すなわち、最初期のチャシは聖域とし

ての性格が強く、次いでアイヌ族内での緊張状態の影響からチャランケの場

として用いられるようになり、和人との戦いが激しくなると軍事施設としての役く

割が大きなっていったのではないかとの見方である。さらに宇田川洋はチャシ

コツから宝物が見つかることが多いことを指摘し、チャシはアイヌの富裕層が

蓄積した宝物を保存する施設だったのではないかとの説を提出している。