緑の山と白い幹


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   夏の北海道で、標高千メートル未満の山地を代表する風景は、うねる緑と白樺・

岳樺の白い幹。もっと高ければ、這松が主役です。初めの三枚は津別峠で撮りま

た。晴れ渡っていれば、遠く大雪山系の一部も遠望できるのですが、この日西の

山際には雲が残っていました。南の雄阿寒岳はくっきり見えます。

   樺の木は摩周湖外輪山と藻琴山の中腹で。冬でも陽が当たると、幹や枝は白く

輝きます。だけど周りが氷雪だから。夏は濃い緑が背景なので、ひときわ明るく感

じられます。葉が茂る元気な木は細い枝が隠れ、風雪に負けて枯れはじめている

木は、そもそも細枝が失われています。


                                小説 縄文の残光 109
 
                         あとがき(続き)
 
   かつては、農耕で栄養状態が改善し、より長く生きるようになり、人口が増加し

たと考えられていた。今でも、そう書いている歴史家もいる。しかし、リッシモ・リヴ

イーバッチの『人口の世界史』(東洋経済新聞社)は、ここ数十年で、これを否定す

る諸説が有力になっていると言う。農業化によって、むしろ出生時平均余命(平均

寿命)は短くなった。ただ、出産間隔が短縮されたので、出生率が向上し、人口が

増加したというのである。

   その原因は、穀物に過剰依存する農民は、根菜・野菜・ベリー類・果物・鳥獣を

食料とする狩猟民より、体格・身長・骨密度が劣る。あるいは、人口密集度が低

いと、寄生虫や疫病の感染が少ない、などと説明されているという。(3947)

   狩猟民という言葉の印象と違って、一般に未開人の栄養源は、動物性脂肪・タ

ンパクより、植物性でんぷん質がずっと多い。だが、北海道縄文人に関しては、

動物性食品の割合が7割かそれ以上だったと言われている。東北縄文人も、北

海道型だったのではないだろうか。

   エミシは、時代・地域・部族ごとに比率は違っても、水稲・雑穀栽培と狩猟採集

を併用していた。狩猟だけでなく採集活動も、激しい全身運動である。春の若菜・

筍、夏の根茎・ベリー、秋の堅果・山芋・果実。女や男の子は、頻繁に山や荒野

に入る。遺伝的要素・食の多様性・生活様式が相まって、エミシの優れた体力に

なったと考えられる。

 
   狩猟採集の未開社会と言えば、一般的には、原始的で動物的なくらしをイメー

ジする。農耕以後に文明の光が射し、現在の人間的な社会につながった、と。少

なくとも、アフリカ、南北アメリカ、アジア・オセアニアに植民した西欧人のほとんど

は、当時、先住民を獣に近い劣等な「野蛮人」とみなしていた。

   これに対し、世の多数派になったことはないが、17・8世紀の西欧ロマン主義

の時代に、「高貴な野蛮人」説が生まれ、知識人の間に浸透した。戦争にあけく

れ、道徳的に堕落した欧米人より、未開人のほうが、平和的で道徳性が高いとす

る。この系譜を引く説は、現代文明に批判的な知識人の間に、今も引き継がれ

ている。

   だが現在、欧米の学会では、「高貴な野蛮人」説をロマン主義的な幻想として

退ける見解が、優勢なようだ。わたしが目を通した中では、『人間の本性を考え

る』上・中・下(NHKブックス)のスティーブン・ビンカー(心理学者)と、『殺人猿はい

かにして経済に目覚めたか?(みすず書房)P.シーブライト(経済学者)が、この

立場を明確に表明している。

   シーブライトはその根拠を三つ挙げる。第一は、ヒトに最も近縁な現存種であ

チンパンジーの暴力性である。チンパンジーは、他集団と遭遇すれば殺し合

い、群れの中では順位をめぐって暴力的に争い、オスは受乳期の赤ん坊を殺し

てメスの発情を促す。

   第二は、前工業部族に関する民族学的な調査報告である。北米先住民、アマ

ゾンの未開部族、オセアニアの先住民、アフリカのブッシュマン、パプアニューギ

ニアの諸部族、などに関する人類学者の調査報告を取り上げている。そして、

「記録にある狩猟採集民グループの三分の二近くが、少なくとも二年に一度は戦

争をしていた」とする、人類学者の記述を引用している。

   第三は、考古学的な根拠である。頻繁に出土する暴力によって死亡したと思わ

れる人骨、発掘された武器や防御施設だ。ピンカーが書いているが、戦闘場面を

描いた岩絵などもある。 (あとがき続く)