津別峠の雲海


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   美幌峠や小清水展望台と同じように、津別峠も屈斜路湖を囲む高所にあります。

標高947メートルで、美幌峠の約2倍の高さ。朝行けば、たいてい雲海を見ること

ができます。西洋の城に似せた展望塔の最上階は、360度の視界が開け、北東

屈斜路湖、南西に雄阿寒岳が間近です。

   11月から5月の7か月間、道路が閉鎖されます。峠に行くことができるのは5ヵ

間だけ。屈斜路湖から峠までのほとんどが、急カーブが連続する一車線道路な

ので、大型バスは入れず、平日は観光客もまばらです。



                                小説 縄文の残光 106
 

                         アテルイの夢(続き)

 
      パイカラ、オマロ、お願いだ。津軽へ行って、妻と息子に、今夜オレが話した

   ことを伝えてくれ。エアチウから聞いたことがあるが、トクシの行先は岩木山
   
   北山麓にある集落だったな。お前たち家族は、トクシの傍でくらせばいい。

      シマは連れて行けないだろう。山を越える長旅は堪える歳だし、死んだシス

   カイレとの間にできた子から、離れようとしないだろうからな。

       ほとぼりが冷めて安全になったら、アシリとアトイに会ってくれ。オレはずっと、

   二人のことを忘れなかったと、伝えてくれ。
 
アテルイの長い話がようやく終わった。
 
 
オマロはモチザワの様子を探ってみた。アトイは鍛冶として、集落の人々に頼りに

されていた。技を伝えた南の部族の子だとは知られていたが、父がアテルイだと

いう噂はなかった。年配の人は知っていて、口にしないのかもしれない。

   オマロの斧とパイカラの山刀を注文するという口実で、二人はモチザワを訪ね

た。アトイとアシリの他に人がいないときを見計らい、素性を告げ、四人で語り合

た。オマロとパイカラが交互に、できるだけ正確に思い出しながら、アテルイ

話したままを、母子に伝えた。
 
   「まあ あの人は最後まで独り身だったのですね。わたしは一度嫁ぎましたが、

アテルイを忘れられず、結局別れました。それからはずっと独りでした」

  アシリはそう言いながら、そっと目頭を拭った。

   「母から聞いて、父がアテルイだということは、知っていました。父たちが闘った

から、津軽には城柵ができず、柵戸が入らなかったのだと、オレは思っています。

最近考えていることは、どこか父の夢に重なるところがあるような気がします。ヤ

マトが津軽に侵攻する気配はありませんが、津軽や都母のエミシの間に、不穏な

動きが見えます。力の強い部族の族長が、弱い部族を支配下に置こうと、ときど

き戦を仕掛けるのです。

   高台に移り住み、集落を堀や柵で囲む部族も現れました。オレは争いが激しく

なったら、海の向こう、渡島(北海道)に退こうかと考えています。渡島は、ずっと

東の奥まで山と湖と森が続く、広大な土地のようです。そこでは人々が、狩と漁

の、昔ながらのくらしを続けている。土地が広くても稲を作らず、部族間で争うこと

もない、と聞いています」

   「そのときが来たら、わたしたちも一緒に連れて行ってください」と、オマロ。パイ

カラも頷いた。

 
   城が完成した数年後に、鎮守府がここに移された。やがて多賀城国府と並び、

北奥の統治を担う重要な拠点になってゆく。  (この章続く)