ノビタキと海のアオサギ


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   夏の野で丈の高い草の茎によく止まっているノビタキ。近づくと飛び立つし、顔が

黒いので、同じ色の目がわかる写真はなかなか撮れません。小清水原生花園で、

たまたま近くの杭に。三回シャッターを押す間、なんとか留まっていてくれました。

  海を見下ろす岬で本州からの観光客が、鶴がいる  興奮気味に教えてくれま

した。覗き込むと夏の湖に多いアオサギです。特に珍しいわけではありませんが、

波穏やかな海面に、黒い影が映る様子がおもしろくて。こちらに来たばかりのころ、

わたしも網走川アオサギを、鶴と勘違いしました。


                             小説 縄文の残光 100
 
                         アテルイの夢(続き)

 
   アテルイは城に出頭する三日前、夜遅くまで、パイカラとオマロを前に語り続け

た。長い話だったが、二人はほとんど一言一句胸に刻み込んだ。文字を持たない

人々は、聴いた話を記憶する能力が優れている。こんな話だった

 
      パイカラは覚えているだろう。オレは若いころ父の供で津軽に行き、三年間

   モチザワでくらした。田茂山の鍛冶場は、祖父が、閇伊の南、海に近い土地か

   ら移って開いたものだ。そのあたりには餅鉄(円礫磁鉄鉱)という、いい鉱石が

   出て、鉄器作りの盛んな場所があった。

      オレが十六の時、父は田茂山で一人前の鍛冶になり、祖父の下で小頭を勤

   めていた。ある日、津軽のモチザワから訪れた祖父の知り人が、砂鉄が出た

   ので、鉄器作りの技術を伝えてくれと請うた。それで、老いた祖父に代わって

   父が行くことになった。炉を開き、軌道に乗るまで面倒を見るという話だ。

      津軽には都からも渡島からも頻繁に船が来て、いろんな珍しい話が聞ける。

   オレは外の世界を知りたくてうずうずしていたので、父に頼んで連れて行っても

   らったのだ。

      モチザワでアシラという娘と親しくなり、二年後に息子が生まれ、アトイと名付

   けた。今生きていれば、二十八になるはずだ。その一年後に祖父が死に、父が

   跡を継ぐことになって、オレも胆沢に戻った。すぐに津軽に帰り、アシラと夫婦に

   なってモチザワに住み着くつもりだった。

      だがこちらでは、ヤマトとの戦の気配が高まっていて、オレも抜けられなくなっ

   た。名が広く知られたので、息子に災難が及ぶのを恐れ、連絡は取らないよう

   にした。それでも、他のだれかと所帯を持つ気になれず、今日まで独り身だっ

   た。十五年前に父が世を去り、胆沢でアシラとアトイのことを知る者は、もうオ

   レだけだ。

      モチザワでオレは、鍛冶仕事の合間に、たびたび十三湊に出かけた。遠いと

   ころから来た人に、話を聞くのが楽しみだったからな。ある時、ふとしたきっかけ

   で、都から流れて来たお人と知り合いになった。親しくなってから、身の上話

   を聞かせてくれたよ。初めに名乗ったのは仮の名で、本名は蘇我当麻(そがの

   たまぎ)だった。

      蘇我畿内で栄えていた一族だが、四代ほど前に朝廷で大きな争いがあり、

   当主の身内はほとんどが殺された。生き残った者は遠国に遁れ、名を変えて

   隠れ住んだ。当麻もそんな一統の裔(すえ)だ。名を変えて都の官人に仕えたこ

   ともあったが、その後津軽に住み着き、ヤマト人とエミシの通詞を生業(なりわ

   い)にしていた。

      オレは津軽にいる間に、当麻から本当にたくさんのことを学んだよ。文字とい
  
   うものも、その一つだ。会ったこともない人に何かを伝え、異国 (とつくに)の人
   
   や亡き人からも、何かを学ぶことができる。素晴らしい技だ。当麻から教わっ

   て、オレもいくらか読んだり書いたりできるようになった。ヤマト言葉も達者にな

   ったよ。  (この章続く)