雲海の名残


   そらさん、イソツツジは火山灰地帯、溶岩台地、湿原などの荒地でよく見かけま

す。人の手で開発が進んだ地域では生えないのかも。


   サイタマンさん、日本人単一民族説に都合が悪い事実は、知らされないで大人

になるのだと思います。わたしもこちらに来てから改めて古代史を学びなおすまで

は、縄文人やその直系子孫が、ヤマト人とはちがうとは、意識していませんでした。

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   小清水高原では下界がすっぽり雲海に覆われていたのに、摩周湖第三展望台

まで移動すると、屈斜路湖の雲海が消え去ろうとしていました。摩周湖の湖面はす

っかりあらわです。小清水高原で出会った人に、摩周湖には霧が流れているだろ

うと言ったことを、後悔しました。その人もすぐに第三展望台に来ましたから。


                               小説 縄文の残光 93
 
                 燃える森 (続き)
 
   粮はひとまず伊沢城に集めた。ここまでは官道が通じている。そこから北への

道は狭い。征討軍は、輜重隊を挟んで、ゆっくり北上する。一迫川と三迫川を越え

れば丘陵地帯で、木々の間を行くことになる。だが、このあたりは伊沢城の支配

が及んでいて、安全である。

   今の一関市のあたりから胆沢川までは、北上川の土砂が堆積した平坦地が広

がっている。一面の水田で、見通しはいい。三日後に四万の軍が、糧食とともに

胆沢川の南岸に到着した。川を渡って西に進み、六、七十丈(200メートル前後)

の小高い丘に本陣を置く。丘を囲む平地に兵たちの幕舎が設営された。糧食の

貯蔵庫は西側にある。

   田村麻呂の予想通り、胆沢平野のどの稲作集落にも、人影はなかった。エミシ

は山に籠ったに違いない。今回は耕地を荒らすつもりはなかった。栗原では、水

路を復旧し水田を再整備するまでに、二年かかった。胆沢川流域に広がるのは、

陸奥以外のどの国にもない、広大な扇状地である。

   公民制の崩壊が進んでおり、この地の水田すべてを耕す民を、ヤマト地域から

移すのは難しい。移民だけでなく、俘囚の労働力も必要になる。田村麻呂は勝利

を確信している。その後短期間で築城するためにも、生産再開が速やかでなけれ

ばならない。

   盆地の西はずれに陣を置いたのは、出羽との国境に連なる山々のどこかに、

エミシの拠点が設けられていると、思ったからである。秋に収穫した稲は、そこへ

運び込まれているに違いない。狩りや採集で補えば、今年の田植えができなくて

も、来年の収穫まで凌げる。

   今や胆沢エミシは孤立している。戦える男の数はせいぜい千人。四万のヤマト

軍を相手に、平地での正規戦を挑むことはないだろう。きっと、得意な山林の戦

いに誘い込み、ヤマトの兵をじわじわ減らそうとする。

   征討隊は大軍で、日々消費する食糧は膨大だ。敵地にあっては、現地調達も

できない。弱点は軍粮である。自分なら、粘り強く戦いながら、糧食を奪ったり焼

いたりして、撤退に追い込もうとする。アテルイも同じだろう。

   不用意に山間に引き込まれたら、こちらが不利だ。挑発には乗らず、仕掛けさ

せる。その餌が軍粮の貯蔵庫だった。攻撃させ、引き揚げる敵の跡を、こちらの

山林部隊に追わせ、拠点の在処を探る。位置が分かったら、じっくり包囲して壊

滅させる。それが田村麻呂の作戦だった。

   西の倉庫は目立つように、わざと多くの警備兵を配した。食事時には、輜重兵

に、ここから糒(ほしいい)や塩を運び出させた。案の定、雨の降らない夜は、篝

火の光が届かない暗闇から、火矢が射込まれる。実際に収められているのは糧

食の一部で、多くは兵の宿泊用と同じ幕舎に、分散して蓄えてある。

   丘に騎兵を上げておき、火矢の発射場所を急襲させれば、何人かの敵は討て

る。だがそれは命じなかった。警備兵に矢傷を負うものが増える。それでも、もう

少しで倉庫を焼けると思わせたかった。夜が白むまで攻めさせ、それから山林隊

に、引き揚げる敵の跡を追わせた。

    なかなかうまくいかない。山を登る速さが違う。エミシは灌木や笹が密生する

急峻な坂を、まるで平地のように駆け登る。ヤマトの狩り人には追いつけない。

夜襲とひそかな追尾が、ひと月余りも繰り返された。  (この章続く)