小清水砂丘のエゾキスゲ


   サイタマンさん、桓武朝の三次の征夷のうち、戦闘の場所や経緯がいくらかでも古

に記されているのは、一次(巣伏)だけです。登米・栗原は全くの創作です。それだ

け自由に想像できたので。

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   昨日アップしたゼンテイカとの違いがお分かりでしょうか。枝分かれした先に花を

付けています。色も少し白っぽいと思いますが、光の強さによっても印象が違うの

で。

   小清水原生花園の案内人に尋ねたら、ここでゼンテイカはほとんど見られない

とのこと。写真は原生花園や少し手前、網走寄りの砂丘斜面で。


                               小説 縄文の残光 82
 

                   登米・栗原の戦い(続き)

 

   西岸と栗 原村 の間、登米の一帯は、北上川と迫(はさま)川が氾濫を繰り返し、

たびたび流路を変え、湖沼と湿地が広がっている。大きな森はない。いくらか起

伏があり、小さな林や孤立した低木が見られる。高台の林間に竪穴住居を作り、

水捌けのいい場所に水田を開き、百ほどの小集落が散在している。栗原はアザ

マロの事件以後、再び荒エミシに還った。登米にはその影響が及んでいる。

   両側から葦原が迫る道を、偵察隊の十騎が、本隊の八町(880メートル)ほど

先を駆けていた。右手、草叢の波が近づいて来る。隊長は手を挙げ、隊を停止さ

せた。草の揺れも鎮まる。しばらくして、一人の初老の男が道路によろめき出た。

エミシの一行と見定め、姿を現したようだ。纏った衣の裾が、赤く染まっている。

喘ぎながら、男は話した。

   ヤマトの大軍が集落を包囲し、家々に火を放ち、止めようとした者は殺された。

自分は何とか草叢に飛び込んで逃れたが、矢を射かけられ、腿に傷を負った。

戦士は伊冶城に行って、残っているのは子ども、年寄り、女たちだ。このままで

は、逃げ遅れた全員が殺されるか囚われるかだ。どうか仲間を助けてくれ、と。

偵察隊の使者から事情を聞いて、アテルイは周りに集まった騎馬戦士に問いか

けた。

    「渡船場への到着が遅れれば、作戦が失敗し、ひいては戦全体が決定的に

不利になるかも知れない。それでも絶滅に瀕した集落の救援に駆けつけるべき

か?」

   うおーと大歓声。

    「よし、では全速で駆けるぞ。登米の人、案内できるか。・・・・では俺の馬に乗

れ。傷が痛むだろうが、我慢してくれ」

 
   浜成・野足率いる東軍は、登米に入ると十一隊に分かれた。それぞれ軍監が

率いる騎歩二千五百人の部隊が十。東から西に並ぶ形で北進し、登米エミシの

集落すべてを焼く。残余は二人の副将軍の指揮で舟着場に直行。軍粮を荷揚げ

し、河岸の高台に陣を築く輜重隊を護ることになっている。エミシの騎馬隊が向か

ったのは、一番東の分隊に襲われた集落だった。

   近づくにつれ、高く立ち昇る煙が見えてきた。もはや家々は救えない。集落ま

で十町(1.100メートル)ほどのところで、東に向かう百人ほどの塊が見えた。す

ぐさま騎馬隊が疾駆し、包囲する。本営に送られる捕虜とその護送隊だった。三

十人ほどの兵は、包囲する戦士の弓矢に威嚇され、抵抗を諦め、武器を置いた。

   「一人も逃がすな。隊に知られて合戦になれば、船着場への到着がさらに遅れ

る。荷揚げの終わった軍船が流れに乗って去り、本営の防備が固まってからで

は、作戦が失敗する。手足を縛め、猿轡を噛ませ、草陰に転がして置け」 

                                                                                   (この章続く)