庭の花々


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   日の出前の薄暗がりで、白く浮かぶのはフランス(一枚目)。園芸用に栽培され

ている改良種・マーガレットは、寒さに弱いのだそうです。ウチの庭でもあちこちの

荒れ地でも勢いよく繁殖しているのだから、元の種が半ば野生化しているのでしょ

う。

   次はカモミール。これも猛烈に増えます。ハーブの仲間は強い草が多いようです。

ハーブティー用に少し残して、残りは見つけ次第毟っています。それでも目立たな

い片隅で、いじけながら花をつけます。写真はそんな一輪です。いじけている株は

開花が早いのです。畑に残してあるものは、元気に葉が茂り、花はまだです。

   シャクヤクも蕾が膨らんでいますが、このところの低温続きで、なかなか開きま

せん。まあ、咲ききるとちょっと派手すぎるので、開こうか開くまいかためらう風情の

ほうが、わたしの好みですけど。

   最後の6枚花弁で端正な白い花、名前がわかりません。小さいラッキョのような

球根から伸びてきました。もとは栽培種なのでしょうね。


                                小説 縄文の残光 76
 
                   田村麻呂(続き)
 
   田村麻呂が東山道で兵と兵器の整備に奔走しているとき、東海道で同じ任務に

就いていたのは百済王俊哲である。宝亀六年(775年)と九年の征夷で戦功があ

り、同十一年に鎮守副将軍を、その後鎮守将軍を経験している。ある事件に連座

して日向に左遷されるが、三年で許され、直ちに軍士・兵器検閲を命じられた。征

東副使を拝命した後、鎮守将軍の座にも復帰している。このとき五十一歳。

   天皇が、若い寵臣に援けを期待した人事である。田村麻呂も、自分より十七歳

年長で、エミシとの数次の戦いを潜り抜けている俊哲から、積極的に学ぼうとし

た。共に、渡来系の家系で、姉が天皇の寵を受けている。

   検閲が一段落したある日、田村麻呂は俊哲を都の自宅に訪ねた。来たるべき

征夷の話になり、俊哲に問いかけた。

    「胆沢、栗原、志波、閇伊などのエミシが連携すると、我らは難しい戦闘を強い

られることになります。あなたは、俘囚の領袖に知り人がいらっしゃるのでは?

賊の内部事情を、何かご存知ではありませんか」

    「一昨年の戦いで、多冶比浜成の隊が、志波の賊将を討ち取りましたね。賊

将はアテルイの盟友だったと聞いています。その葬儀に、志波のアドシキが参加

なかったのだとか。アドシキは志波で一番大きな部族の族長です。この男を帰

させることができれば、志波を胆沢から離反させられます」

   「アドシキに使者を遣わすことはできますか?」

   「それはむずかしいでしょう。宝亀七年に出羽から攻めたときに失敗し、志波に

は柵戸の郷も俘囚村もありません。エミシの案内人なしで近づけば、殺されます。

ですが、浜成が海道を鎮圧し、俘囚の族長を手なづけています。その中に、役に

立つ者がいるかもしれません。浜成に相談してみましょう。閇伊や爾薩体の部族

、帰順させられたらいいのですが」

   「そうですか。では、よろしくお願いします」

   田村麻呂は、俊哲が説明する俘囚や荒エミシの事情を、頷きながら熱心に聴い

た。知っていることでも、初めて聞くかのように。

   降伏したエミシ部族は、すぐにヤマトの役人が直接支配するわけではない。帰順

を申し出ると、族長に地名に公(きみ)を付けた姓と賜物が与えられる。そして、族

長を通じて軍役や労役が課され、集落は俘囚村と呼ばれるようになる。だが、旧来

の部族のまとまりは、そのまま保たれている。族長の気持ちや部族の世論が変わ

れば、容易に荒エミシに戻る。離反を防ぐのが、ヤマトの武力による威嚇である。

栗原一帯は、アザマロの乱で伊冶城が機能を失ってから、再び荒エミシの領域に

なっている。  (この章続く)