湿原の鶯


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    鶯の、 声はすれども姿は見えず、はいつものことです。だけど、 釧路湿原の温

内山側遊歩道では、時々姿を捉えることができます。今年もそのチャンスがあり

ました。

   近くで囀る瞬間は撮れませんでした。少し離れた枝先の写真では、声を出すとき

の嘴の開きと喉の膨らみが確認できます。外からはっきりわかるほど大きく喉を

打たせるから、小さな体なのに、あれだけ大きな音が出るのですね。

   囀りに消費されるカロリーはかなりのものでしょう。鶯にとって婚活は、自分の体

力維持を犠牲にするほど、切実みたいです。もつとも写真の鳥は、十分太っている

ように見えます。湿原は餌が豊富なのかな。



                              小説 縄文の残光 73
 
               田村麻呂
 
   延暦九年閏三月早々に、桓武天皇は再び征夷を実施する決意を表明した。紀

古佐美が節刀を返還してから、半年が過ぎたばかりである。にもかかわらず、直

ちにさまざまな準備を、矢継ぎ早に命じている。

   天皇位を継いでから目指してきたのは、自分の言葉を神の言葉として畏(かし

)み、万民がその意を実現しようと邁進する国家の建設だった。国民(くにたみ)

一つにまとまれば、一人ひとりではけして実現できない大いなる事業を達成で

きる。そしてその恩恵は万人に及ぶ、そう信じている。

   万民が天皇の下に一つになったときに現れる大いなる力、それを目の当たり

に示すのが壮大な都の造営と、野蛮な夷狄の征服。この二大事業のために、揺

らぐことのない権威を身に纏わなくてはならない。そう思って、肉親の弟さえ死に追

いやった。

   だが、前年末に母・高野新笠が没した。征夷発表の直後に皇后・藤原乙牟漏

、さらに七月には寵愛していた宮人の坂上又子(田村麻呂の姉)が、相次いで死

している。無惨な死を遂げた弟・早良親王の怨霊が、自分に祟っているにちが

いない。加えて、前年の敗戦がある。思い出すたびに、屈辱感で身が震える。

   苦しみ悶える天皇には、坂上田村麻呂の言葉が頼もしく感じられた。怨霊は慰

霊するしかないが、エミシが相手なら、天皇が不屈の意志を示して立ち向かえば、

必ず屈辱を晴らすことができる。命じられれば、自分が先頭に立ち、死力を尽く

す。そう励まし、又子の死で悲嘆にくれる天皇を慰めようと、最愛の娘を差し出し

た。

   桓武には、皇后から女嬬(にょじゅ)まで、二十六人の女が仕えている。十一人

藤原氏の娘。他のほとんどの女も、百済王氏、橘氏などが、自らの立身のため

に進めた者たちだ。田村麻呂は、私心のない忠誠心から、自分に娘を捧げた。

   この男は、自分の母と同じく、渡来系氏族の出である。十年間ずっと傍らに在

り、近衛府の武官として、真心を尽くしている。赤ら顔で黄色い顎鬚の、三十三歳

の猛者。勇気があり、強い弓を引き、部下には寛容で人望がある。

    田村麻呂に委ねれば、即位以来苦汁を舐めさせられてきたエミシを、今度こそ

征伐してくれるにちがいない。だがまだ従五位下。出羽・陸奥での、官職も軍役も

経験していない。いきなり征夷の責任者に据えるのは無理だ。内々に、軍粮・装

備・徴募・訓練・作戦・軍人事の計画を立案させよう。そして、少しずつ実地の経験

も積ませよう。天皇はそう決めた。  (この章続く)