ミンク


   
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     釧路湿原恩根内遊歩道にいたミンクです。去年も同じ場所で見ました。木道の

下に巣を作っているのでしょうか。ここ以外でも、美幌川に注ぐ用水路の暗渠出口

で1回、屈斜路湖和琴半島のそれぞれ違う場所で3回出会っています。今回はほと

んど真っ黒ですが、もっと茶色っぽい時もありました。全体として、かなりの数がい

るみたいです。

   もともと北米の動物で、アメリカミンクとも呼ばれます。毛皮用に輸入され飼育さ

れていたものが、逃げ出したり捨てられたりして、野生化したのだそうです。猫ほど

の大きさですが、肉食獣です。釧路湿原で育つ丹頂の雛が襲われないといいので

すが。
 

                              小説 縄文の残光 71
 
                 巣伏の戦い(続き)
 
   アテルイ巣伏の戦いの後、何度も自分を責めた。多賀城に五万三千ほどの

兵が結集したのに、衣川に進駐したのは四万に満たなかった。古佐美と共に三

千の兵が留守(りゅうしゅ)に回ったにせよ、一万近い軍の動向が不明である。そ

の意味を、なぜ自分はもっと深く考えなかったのか、と。

 
   五月に古佐美から朝廷へ送られた報告では、エミシ十四村・八百戸を焼き討ち。

ヤマト側の被害は、戦死者二十五、負傷者二百四十五、溺死者千三十六、裸で

泳ぎ渡った者千二百二十五。戦死者には丈部善理と進士四人が含まれている。

このときの報告は、征東副使・多冶比浜成率いる別働隊の戦績に言及していな

い。

   三陸沿岸を船で北上した多冶比隊は、巣伏の決戦三日前までに、現在の気仙

沼から大船渡に至る地域を、ほぼ完全に制圧していた。浜成はその後しばらく、

半数の兵と共にこの地に留まり、行政と軍事の体制整備に当たった。後にこの

一帯に、気仙郡が建てられることになる。

   浜成自身は滞留する一方で、残る数千人を、軍監の一人に指揮を委ね、田茂

山を目指す山越えに進発させた。二百六十丈(790メートル)から二百丈(600メー

トル)ほどの峰々の間を縫って、山間の道を十里(40キロ)ほど行軍することにな

る。もちろん整備された官道はない。道案内として、山に詳しい俘囚三人を同行

させることになった。一族を人質にしているような状態だから、裏切られる恐れは

なかった。

   五里ほど進んだときだ。俘囚の一人が立ち止まり、大勢が進んで来る気配があ

ると告げた。軍監はその俘囚に二人の兵を付け、偵察を命じた。三人がしばらく

薮の間を進み、太い木が並ぶあたりを通り過ぎたとたん、木陰から数人の男が飛

び出す。声をたてる間も与えず、いきなり刀子を偵察兵の胸に突きたてた。案内

役の俘囚は、両側から腕を抱えられ、連行された。

   数百のエミシが円陣を組んで周りを見張り、中央に男が一人立っている。エア

チウである。問われた俘囚は、裏切ったと知られれば一族に害が及ぶと前置き

し、知っていることを話した。

    「そうか。間に合わなかったか。海道の衆にはすまないことをした。だがオレた

ちは、ヤマト軍に山を越えさせるわけにはいかない。お前はこのまま帰って、軍監

に言うんだ。兵はやられたが、自分は何とか逃げた、と。そして見たまま伝えろ。

オレたちはこれから攻撃を仕掛ける。その混乱に紛れ、他の仲間二人と一緒に

抜け出せ。海側の中腹に潜み、ヤマト兵が隊伍を乱して引き上げて来たら、何食

わぬ顔をしてその中に紛れ込め」

   俘囚の後姿をしばらく見送り、エアチウは仲間に語りかけた。

    「遭遇戦だ。策を弄する暇はない。このまま突っ込むぞ。雑兵には目をくれる

な。隊長だけを狙うんだ。大きな塊の中心にいるはずだ。隊長が傷を負い、案内

人もいなくなれば、奴らは撤退する。そうなれば、胆沢の衆が背後を襲われる心

配はない」

   言い終わると、抜き身の蕨手刀を掲げ、突進した。その後に志波戦士五百人が

続く。  (この章続く)