斜里の山と海岸


   そらさん、こちらの6月前半は、山道の若葉や草原の若草が一番美しく輝く季節で

す。その中を車で駆けているだけでも、幸せな気持ちになります。


   kawataさん、ご訪問ありがとうございます。

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 1

イメージ 4

イメージ 5

   知床半島の付け根にある斜里市街からは、斜里岳(一枚目)と海別岳(二枚目)

が、くっきり見えます。同町の以久科原生花園の海岸からは、遠根別岳より先の

知床連山が。

   この日(5月19日)は、砂浜でサギの一群が遊んでいました。キアシサギのよう

です。もっと近くから鮮明に撮りたかったのですが、近づくと長い脚をちょこまか動

かし、素早く離れます。解像度の低いわたしのカメラでは、これが精いっぱい。


                               小説 縄文の残光 65
 
               巣伏の戦い

   翌延暦八年(789年)三月、ヤマト軍は胆沢を目指して発進した。紀古佐美は、

三千の兵と共に多賀城に留まり、海道エミシの襲撃に備えた。老将の脳裏には、

宝亀十一年に陸奥国を大混乱に巻き込んだ事件の記憶がある。あのときの多

賀城は、ほとんど守備兵が居らず、アザマロの俘軍に無抵抗で蹂躙されている。

   出征部隊は、二十八日に衣川を渡り、本営を設けた。率いていたのは三人の

征東副使、紀真人・佐伯葛城・入間広成だが、佐伯葛城は病を発していた。紀真

人は自分から発言することはなく、ただ頷くだけ。実質的には、二人の鎮守副将軍

と入間広成が、前線司令部を構成していた。衣川は現在の平泉中尊寺のわずか

北で、北西から北上川に合流する。近くのエミシ集落は磐井で、その族長がモレだ

った。掃討隊が派遣されたが、集落は無人。派遣隊は、田植え前の田を荒らし、家

を何軒か焼いて本隊に戻っている。

   衣川北岸に軍を留め、北上川西岸沿いに偵察部隊を北上させてみた。北へ五

里ほどは、どの集落も空だった。そこで軍を前軍、中軍、後軍に分け、後軍は衣

側の本営に残り、他の二つはそれぞれ、二里と四里北に陣を置いた。

   夜になると本営に、北西の方向からたくさんの火矢が飛んでくる。追えば、敵は

暗い森に消える。明るくなってから、前夜矢が放たれたあたりの山を探索しても、

踏み跡が錯綜していて、どの方向に逃れたのか分らない。

   夜襲をかけているのは、ヌプリ率いる栗原隊だった。ひとしきり矢を射ると、素

早く退き、出羽側の山に隠れる。だが、ヤマトの前線司令部は、胆沢エミシの仕

業だと思っている。賊が西岸の山間部に集まっているのだ、と。

 
   軍団兵は三年任期だったが、任地派遣は六交代制だったので、同じ部隊が常

駐しているわけではない。徴募兵は、征討が終われば解散になる。鎮守府の軍だ

けが、陸奥に常駐している。将軍は頻繁に交代するが、兵や下士官は、いわば職

業軍人のようなもの。エミシの動静を探り、城柵周辺の治安を維持するのが平時

の任務である。

   衣川に征夷軍が出陣した後にも、鎮兵の一部は多賀城に残り、情報収集活動

を続けていた。四月の半ば、下士官の一人が、ある俘囚の不審な行動に気付い

た。城で下僕として使われている男だ。輜重隊の馬方に近づき、しきりに行き先を

聞き出そうとしている。下士官はその男を捕らえて尋問した。

    「素直に間諜だと認めよ。抗えば、皮膚が裂けるまで鞭を食らわす。さっさと自

白し、胆沢エミシがどこに集まるのかを話せ。そうすれば、罪を許し褒美を与える」

    「オレは間諜なんかでねー、おれは・・・・・」

    「おい、こいつを押さえつけて背中を剥け、鞭をよこせ」

    「オ、オレは、叩かれても口を割らんぞ、さっさと殺しやがれ。どうせ裏切れば

仲間にやられるんだ」

    「そうか、エミシの報復が怖いのか。ならこうしよう。しゃべったら、罪を許して都

に送る。そうすれば死なずにすむが、どうだ。くらしが立つように、ちゃんと手当て

もしてやるぞ」

    「ほんとか。ほんとに褒美をくれて、都へ逃がしてくれるのか。ウソじゃねーだろ

うな」

    「我らは帝の軍だ。ウソはつかん」

    「なら言う。エミシは田茂山東方の山に集まって、北上川を渡り、夜中に本営を

総攻撃することになってる。オレはどのくらい兵粮が、どの陣に行くか、調べろと言

われた」

    「偽りを言うな。なら何で西から攻撃されているんだ」

    「あれは囮だ。東岸で結集が終わるまで、渡渉させないためだ」

     「よし、連れて行け。真偽がはっきりするまで、牢に入れておけ」  (この章続く)