ヒメシャクナゲとエゾノコリンゴ


   そらさん、知床五湖の遊歩道はこれまで、3回行っても2回は「クマ出没」で歩行禁

止でした。新システムになって、禁止の回数がずいぶん減ったとか。


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   ヒメシャクナゲは5ミリほどの小さな花をつけます。気をつけていないと見落とし

ます。昨日の釧路湿原温根内遊歩道では、ずいぶん注意していたのですが、2株

しか発見できませんでした。少し時季が早かったようです。

  エゾノコリンゴは遊歩道入り口近くの林の端で、一本だけ咲いていました。こちら

遠くからでも気づきます。両方とも、毎年楽しみにしている花です。


  湿原が花の季節に入り、早く行きたいと焦っていました。昨日、野菜を庭に降ろす

作業で悪化した右脚の痛み痺れをおして、思い切って出かけました。行った甲斐は

あったけれど、しばらくは鎮痛剤に頼る日々になりそうです。


                                小説 縄文の残光 63
 
                   風雲迫る(続き)
 
    「わかった、その役目は引き受けよう」と、トリ。

    「もともと皆さんほど強い弓は引けないし、少しずつ脚も衰えている。戦ではた

いして力になれないかもしれないが、そういう仕事ならやれると思う。老いていく身

に、役に立てる役目があるのは、嬉しいことだ」

   ヨシマロも、喜んで連絡役を引き受けた。こうして、ヤマト軍を迎え撃つ準備は、

少しずつ進んだ。

 
   延暦四年八月二十八日(785年10月5日)、征夷の中心となるべき大伴家持

が、陸奥で没し、計画が中断された。その八ヵ月後、平城京から遷都して間もな

長岡京で、藤原種継暗殺事件が起きる。

   桓武天皇の権力は、当時まだ基盤が固まっていない。遷都は、近在の森が失

われ、洪水が頻発する地を去ることだった。同時に、平城京(奈良)に根を張る勢

力に対抗する手段でもあった。大伴氏や佐伯氏は、大化以前から続く有力貴族。

大所領を持つ旧都の大寺も、強い影響力がある。

   長岡は、天皇の母が属した百済王氏や秦氏など、渡来系氏族の根拠地だっ

た。それに、山背や丹波の森林に近く、桂川による木材運搬にも便利である。遷

都という大事業が成功すれば、天皇の権威が高まる。

   藤原種継も母は渡来系氏族の出身。種継は藤原式家による権力の独占を図

り、天皇の意に添う造都の先頭に立っていた。その種継が暗殺された。

   大伴氏と佐伯氏が事件の首謀者、皇太子の早良親王が黒幕とされた。家持は

追罰を受ける。埋葬を禁じられ、官籍を奪われた。子の永主は流罪

   早良親王桓武の弟で、皇太子になる前は、奈良の寺院で僧籍にあった。旧

都の寺院は新京移転が禁じられている。皇太子に決まった後で、天皇に子が生

まれた。早良が去ればその座が空く。親王は地位を奪われ、配流の旅で餓死し

た。憤死とも、食を禁じられたとも言われる。天皇は再び、怨霊に悩まされること

になる。

   一般に庸としての力役は、労賃だけでなく、旅費・食費も政府は負担しない。だ

長岡京の造営では、対価を支払うまでして、全国から三十一万四千人の百姓

を集めた。建造を開始してから半年後の、延暦四年(785年)正月、早くも遷都す

る。まだ皇居の一部にも、未完成の建物があった。都の本格的な造営はこれか

らである。そこへ主導者・種継の死と政変。そのうえ、長岡はたびたび水害に襲

われた。造営用の木材伐採で、森の保水力が劣化したのかもしれない。長岡京

の造営は進まず、十年後に再び新たな都、平安京へ移転することになる。

   家持は三十歳のころ、〈・・・海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍 大君のに

辺にこそ死なめ 顧みはせじ・・・〉と詠った。このような武人の直情が災いして、勝

ち馬に乗る狡知に欠けるところがあったのだろうか。だから、死して後も辱めを受

けた。

   とはいえ、権謀術数の嵐が鎮まれば、勝者の側が、陥れた人々の怨念に怯え

るようになる。桓武天皇延暦二十五年(806年)、死の直前に、種継事件に連座

した家持らを復位させている。

 
   家持の死で中止されていた征討は、一年後、延暦五年(786年)に準備が再開

される。八月に、東海道東山道諸国は、エミシを征するための兵士を簡閲し、

武器を検査するように命じられた。翌延暦六年(787)一月には、王臣・百姓ら

に、エミシとの交易を禁じた。理由は、商人的な「弘羊の徒」が介在し、王臣・国司

らが競って狄馬・俘奴婢を買い、エミシを利している。また律令農民が綿・鉄を夷

俘の物と交易しているが、エミシはそれを襖冑(布製の鎧)・農具に作り変えている、

ということだった。  (この章続く)