木々の芽吹き

 
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   五月前半の森は、草と地を這う低木、それにコブシと山桜が、花咲く季節。五月

半は、芽吹きはじめた木々の葉を、新緑と呼ぶにはまだ心細い季節です。常緑

針葉樹も枝先に新芽が伸び、色が冬より明るくなります。カラマツや落葉広葉樹の

芽吹いたばかりの枝先も、近寄ってよく見ると花にも劣らない魅力があります。人や

獣だけでなく木の葉さえ、幼い姿は人にいとおしさを感じさせますね。


                                 小説 縄文の残光 49
     
                 アザマロ(続き)
 
   四月三日、天皇が譲位し山部親王が即位した(桓武天皇)。異母兄の前皇太子

井上内親王の廃位がなければ、即位はなかった。二人は廃位の三年後、幽閉

の地で同じ日に不審死を遂げている。桓武はその怨霊に悩まされていた。母が皇

族でも藤原氏でもなく、百済からの渡来系だったので、桓武皇位に異を唱える

勢力もあった。桓武は絶対的権力の確立で、心の内と外からの脅威を克服しよ

うとしたようだ。まず征東の実績を急ぎ求めた。即位後直ちに小黒麻呂を叱責。さ

らに征東副使を都に召還し、征夷が行われない理由を詰問した。

   小黒麻呂は、主戦派のエミシを容易には討てないと考え、現地の軍を解散し

た。五月二十四日の奏状で、一を以って千にあたる賊首として、伊佐西古、諸締、

十島、乙代の名を挙げている。だが桓武は、小黒麻呂が京に帰ることを許さな

かった。

   追い詰められた小黒麻呂は、ある俘囚村の不意を襲う。そこで挙げたエミシ七

十名の首を戦果として、八月二十五日に都へ「凱旋」した。

   ただちに論功行賞が開始される。小黒麻呂は従四位上から正三位に、百済

俊哲正六位上から正五位下に昇進。任務を放棄した藤原継縄は罰されなかっ

たが、大伴益立は従四位下から正五位下に降格された。

   益立には、この賞罰が公正だとは思えない。意気上がる敵を、十分な準備が

整わないまま攻めるのは、無謀だった。自分が多賀城とその周辺で秩序回復に

努めたから、小黒麻呂は戦果を装うことができたのである。

   継縄は、その妻に桓武の寵が厚く、本人も天皇に親しく近侍していたので、処

罰を免れた。小黒麻呂にも、強力な親族の後ろ盾がある。前天皇の代に左大臣

を出した、藤原北家の一員だった。自分には有力な庇護者がいない。だから、は

かばかしい戦果のない戦いの責めを、一身に負わされた。

 
   無念の思いは子の野継に受け継がれる。冤罪の訴えは五十六年後に容れら

れ、亡き益立は従四位下に復した。(この章終り)