湿った森の水芭蕉


イメージ 1

イメージ 2

イメージ 5

イメージ 4

イメージ 3

   網走湖畔呼人探鳥遊歩道の水芭蕉です。湖畔の湿めった森の中では、尾瀬のよ

うな草原とは一味違います。花の黄色と苞の白さは同じように鮮やかですが、黒い

水面、太い木の幹、密生する緑という背景が、落ち着いたというか、沈んだという

か、独特な雰囲気を作り出しています。最後の一枚、湿地が終わり、花の群生が尽

きるあたりで、緑の中にまばらに白が点在しているのも、面白く感じられました。


                               小説 縄文の残光 35

 

                                           それぞれの路

 

   エアチウは、ヤマト軍が撤退してから、ナタミの男たちを十組に分け、毎日山廻

りを続けさせた。森のなかで彷徨っている敵を捕らえ、志波から追い払うためであ

る。ここ三日間は一人も見つかっていない。もう危険は去ったようだ。

   その日、早朝の広場は、家々のざわめきが聞こえ、子どもが走り回り、人の気

配に満ちていた。が、陽が高くなってからは、春蝉の声が響くだけで、閑散とし

ていた。遅れを取り戻そうと、大人も子どもも田や畑に出はらっていた。

   エアチウは後で聞いたのだが、イズナの四歳の娘が、森からよろめき出る人

影を見ていた。鞘のなくなった剣を杖代わりに、小屋に近づいたのだと言う。敗残

のヤマト兵だった。今まで森から抜けられなかったのだろう。身に着けた衣服はぼ

ろぼろ。空腹の体に胴丸が重すぎ、脱ぎ捨て、下の衣が薮の棘で裂けたにちがい

ない。イタドリを齧り、ヤマグワやイワナシの実を探し、なんとか生き延びていたよ

うだ。

   幼い娘は、家族と一緒に田に行っていた。母親が集落に戻ったのに気付き、追

ってきた。異様な風体の男に怯え、広場の隅で木の幹に体を隠し、じっと見てい

た。男は、おぼつかない足取りで、一番近い小屋に近づき、入り口の筵に手をか

けた。そのとき、内側から筵が跳ね上がり、娘の母が出てきた。右手に鉈(なた)

下げている。男は鉈を手にした女との、不意の出会いに驚愕したようだった。杖に

していた剣を両手に握り、振りながら一歩後退した。何かに躓たらしく、尻餅をつ

く。その上に母が倒れ込んだ。滅茶苦茶に振り回した剣先が、喉を切り裂いたの

だった。

   イズナの妻は、田の縁にタラの木を見つけた。奥にも何本か続いていた。芽を

摘みたかったが届かない。撓めようとすれば、手に棘が刺さる。根に近いところ

から伐ろうと、鉈を取りに帰ったところだった。泣きながら田に戻った娘から、なん

とか事情を聴き出し、人々が駆けつけた。イズナが妻を抱き起したとき、喉から下

を赤く染めて、息絶えていた。犯人の姿はない。だが血の跡がナタミ川沿いに続

いている。追跡した男たちはすぐに、よろめきながら川下に向かう兵の姿を捉え、

追いつくと直ちに胸に刀子を突きたてた。死体を森の大木に縛り付けて晒す。や

がて獣が始末してくれるだろう。

   部族の人々は、意味のない人殺しは好まない。だが、仲間の誰かが害された

となれば話は別だ。部族社会に警察機構はない。復讐は安全維持に欠かせない

手段である。気心の知れない者との出会いは、危険に満ちている。うかつに害を

加えれば、その部族の者に復讐される。そういう評判が、仲間を被害から護る。

   妻を失ったイズナの悲しみは深い。フレトイも、まるでその娘のように家に出入

りしていたセコナも、イズナに早く元気になってもらいたかった。幼子は母親の乳

房を恋しがったが、幸い母乳がなくては生きられない年齢は脱していた。セコナは

母のつもりで、子どもに胸をまさぐらせた。秋には山葡萄を集めて突き、甘い汁を

子どもにもイズナにも飲ませた。親の家に帰る夜が少なくなり、やがて集落の人々

はセコナを、子どもの母、イズナの妻と見なすようになった。  (この章続く)