能取湖のカワアイサ
のですが、白黒模様が典型的なオスを確認できなかったので、ちがうカモかも。カ
ワアイサなら、北海道には渡りをしない留鳥もいるようです。
小説 縄文の残光 31
志波侵攻(続き)
湿地などである。どれもが、標高百六十丈(500メートル)から六百三十丈(約190
0メートル)ほどの山に囲まれている。平坦地よりずっと広い山間地は、湿地や草
地もあるが、大半が森林である。はるか昔からこの地にくらしてきたエミシは、大
半が山の民だった。平坦地では、六世紀以後、稲作が始まる。それでも人々
は、農作業の合間を縫って山に入る。近隣の山がどんな地形か、馬が入れる道
はどこか、よく知っている。脚力が鍛えられていて、急坂でも平地とあまり変わら
ない速さで登る。ヤマトの稲作地帯の兵は、深い山を不気味に感じ、神出鬼没の
エミシを、魔物ように恐れた。それもあり、出羽の軍が惨敗した噂が広がると、兵
の逃亡が相次いだ。
アザマロは栗原郡の郡司の一人である。今回の志波侵攻では、郡の俘兵を率
い、陸奥軍に加わった。ヤマト正規軍と共に行動するのは初めて。その戦いぶり
をよく見ておくつもりだった。
五月(新暦では6月)も半ば、もう夏である。和賀で、体勢を立て直した出羽の
軍が合流した。総勢二万四千、うち戦闘員一万六千が、雫石に抜ける道を志波
に向かう。前回で懲りている。前方だけでなく、道の両側の山林にも、遠くまで偵
察隊を出し、慎重に進む。それでも、合流から二日目の昼前、何事もなく雫石盆
地の高台に到着した。
平らな場所があり、全軍が集まって露営できる。いつもは馬が草を食むエミシ
の牧だが、今はいない。見張りが知らせ、集落に戻したのだろう。ヤマト軍は、大
急ぎで溝を掘り、掘り出した土で土塁を築き、伐り倒した立ち木で見張り台を組み
立てた。夕闇が濃くなるころ、焚き火に掛けた鍋に湯が沸き、糒(ほしいい=煮て
から乾し固めた米)が投じられた。兵は夜の間、三交代で見張りに立つ。
ほぼ三里(12キロ)。広い道の緩い下りだから、駆け足で行軍すれば三刻(1時間
半)で着く。騎馬なら一刻(30分)もかからない。
翌早朝、放たれていた斥候が次々戻り、将校が集まった天幕で報告した。北
上川西岸には、戸数九十六の中心集落の他に、北に一つ、南に一つ、比較的大
きな稲作集落がある。それぞれの小屋数は、八十四と五十八。中心集落に、五
百人ほどの男が集っており、馬の数は三十四頭までかぞえられた。残りの二つ
の集落には人影がない。山間(やまあい)に、二十戸に満たない小さな集落がいく
つもあると思われるが、大きな集落は川沿いの三つだけ。そう報告された。
しばらく休息した後、斥侯は再び出発した。中心集落の見張りを交代するため
である。杯(ばい)を噛ませた馬を木立の陰に隠し、敵に動きがあったら直ちに報
告するように、指示されていた。(この章続く)