春の岬で
海氷の消えた能取岬の沖には、白い漁船が集まっていました。目当てはトキシラ
ズでしょうか。産卵期の秋と違って、筋子や白子に栄養を取られないので、春の鮭は
おいしいとされています。まだ漁が始まったばかりで高いのですが、もう少し安くなっ
たら、わたしも一匹買いたいな。
崖に飛来したのは、下半身が赤茶色で上半身が白っぽい、奇妙な鳥です。鳩より
は大きかったような。初めて見ました。どんな種類なのか見当もつかず、調べていな
いので、名前もわかりません。
小説 縄文の残光 24
シ マ (続き)
よく晴れた朝だった。シマは、ナタミ川に注ぐ小川で、泥にまみれたトクシの野
良着を洗濯することにした。陣取った浅瀬から少し上流に、二人の女がやって来
た。背の高い葦の茂みが間にあるので、しゃがんでいるシマに気づかない。衣類
を流れに浸すと、二人はおしゃべりを始めた。トクシの名前が出てくる。どうやら
二人は自分たち夫婦の噂話をしているようだ。細かくはわからないが、こんなこと
だろうと、おおよそは見当がついた。
「子どもらの話が小耳に入ったんだけど、オマロはここへ来てから、トクシが女
房を抱くとこ、見たことがないんだってさ。一つ小屋で寝てるんだから、一度も気
づかないってことはないよね。あの夫婦はやらないのかなー。そんな噂があれば、
ここの男たちは目の色変えてシマに言い寄るだろうに、誰かがちょっかい出した
なんて話も聞かないし」
「ノッキリから聞いたことがあるけど、トクシは女房が評判の美人だって、自慢し
ていたってさ」
「ヤマトじゃ、若くてきれいな女じゃないと、もてないみたいだね。こっちの男は
女と見れば誰かれなく言い寄る。やらせてくれた女と、気が合えば長い付き合い
になる。ほら、もう勃つか勃たないかって年寄りも、女になったばっかりの若い子
にも色目を使うし、月のものも終わった婆さんに抱かれたがる若い男もいるし。若
くてきれいじゃなくちゃ男に相手にされないなんて、ヤマトの女はかわいそうだよ」
「トクシの女房は、自分が美人だから特別だって、思ってるんじゃないかい」
「それはどうかわからないけど、なんか近寄りにくいところがあるよね。わたしらの
言葉もぜんぜん覚えないし。とっつきにくいから、男も手を出さないのかも。
だけどトクシはどうして女房を抱かないんだろう。他の女とねんごろになっても
いないみたいなのに」
「あんた、トクシに気があるんだ!」
「そう言うあんただって。あいつは女に優しいからね。寝てみたいって思ってるの
は、わたしらだけじゃないよ」
もう聞いていられない、そう思って、シマはそっと川岸から離れた。気持ちがざ
わめいていた。言えるものなら言いたかった。抱いてもらえないんじゃない ! わた
しの体が、夫に触れられるのを拒んでいるんです。美人だと気取っているわけじ
ゃありません。そう言いたかった。だけど、それならなぜ拒むのかと聞かれても、
説明できない。エミシ言葉をちゃんと話せないし、それに自分でも理由がわから
ないのだから。
夫も子どもたちもここに馴染んでいる。だけど自分だけは・・・・・。淋しい。兄に会
いたい。母や兄の声を聞きたい。そう思うと、涙が出そうになった。 (この章続く)