青鷺と 鴨
タムラ、チョウノスケって、志波の人の名だったのですね。知りませんでした。行っ
たこともないのに、書いていると、あのあたりの土地の名が親しいもののような気が
してきます。
青鷺は南から帰ってきたところのようです。これから北海道で子育てが始まりま
す。鴨は北帰行の季節。二羽、三羽と、美幌の上空を飛ぶ姿が見られます。練習
して、慣れてから、大きな群れに集まって去るのかな。写真は濤沸湖に南西から流
れ込む丸万川で。おびただしい数がいましたが、車から降りて近づくと一斉に飛び
立って、遠ざかります。
小説 縄文の残光 15
逃 散(続き)
「そうか、ノッキリが捕まった理由(わけ)はオレも知っている。お前は信用されて
いたようだな。ノッキリは妹が嫁いだ相手だ。オレもずいぶん世話になった。ヤツは
柵を逃げ出して、何とか志波までは来た。だが、脚に受けた矢傷がもとで、高い熱
が出た。けっきょく長くは生きられなかったよ。ヤツが誘ったのなら、事情を話せば
集落のみんなも受け入れるだろう。オレが連れて行ってやる」
エアチウは栗原から志波にかけての山なら、獣道まで詳しく知っている。一家は
途中一晩山中で夜を過ごし、次の日無事に志波の集落に着いた。
部としては大きな集落が散在し、付近の山間部にある小さな集落を含め、志波村
と呼ばれていた。
各集落はそれぞれ独立している。北の爾薩体(にさつたい=二戸を中心とする
地域)、南の胆沢、東の閇伊、南西の雄勝にある集落とも、友好的だったり対立
したりする、緩やかな繋がりはあった。エミシ自身がここまでは志波と、はっきり
境界を意識していたわけではない。それでも、大きな稲作集落で族長が没し、墳
墓が営まれるときなどは、周辺集落からも人が集まり、墓作りに加わる。強制で
はない。酒や食物が供される、一種の祭りのようなものだった。そういう機会が多
いから、遠方集落よりは、付き合いが密になり、集落間での婚姻も増える。小集
落では多人数をもてなす力がないので、低地の農耕大集落が交流の中心だ。
大集落とはいえ、墳墓は径三、四丈(9メートル、12メートル)かそれ以下の円
墳や方墳で、ヤマト地域で何千・何万人もの労役で作られた、前代の巨大な前方
後円墳とは、比べものにならない。(この章続く)