早春の岬牧場
本州の多くはもう春たけなわなのでしょうね。ウチの庭では今朝も、消え残る雪の
上に新雪が薄く積もっています。先週のある朝早く、能取岬の牧場も同じで、ようや
く春が始まったばかりの風情でした。今年このあたりは、雪の多い四月になってい
ます。
小説 縄文の残光 14
逃 散(続き)
ある日ノッキリが、「オレがどうして役人どもの目の敵にされているか、訳を聞
いてくれるか」と言って、こんな話をした。
り、若駒が育ったりすると、北上川を下って、ヤマト人(ひと)と交易をしていた。ノッ
キリが、築城後八年ほどたった桃生に出かけたとき、あたりには都からも坂東か
らもたくさんの人が集まり、賑わっていた。富と地位の証である獣皮、矢羽や装束
の飾りになる鷲羽、北上の山間草地で育てられる馬は、役人や商人が目の色を
変えて欲しがる品である。ノッキリは顔見知りの商人と取引をしようとしたが、都か
ら下った役人が割り込んできた。身分をひけらかし、安い対価で品物を引き渡すよ
うに強要したのである。ノッキリはそれを拒んだ。それで、叛意のあるエミシとして
捕えられ、品物を没収されて伊冶城の造作現場に送られたのだった。囚人扱い
なので、俘囚村が労役に差し出した他のエミシより監視が厳しかった。
そんなことを思い出しているうちに、いつの間にかトクシは寝入っていた。翌朝、
焚き火の明かりを頼りに、粥を食べ終わった。トトキ(ツリガネニンジン)やショデ
コ(シオデ)など、道々摘んだ山菜がほとんどで、米はわずかしか入っていない。シ
マは鍋を草の葉で拭っている。他の家族は寝床にしていた筵を巻き、背負子に荷
を括りつけていた。そのとき、未明の薄暗がりのなかから、音もなくひとつの人影
が現れた。矢を番えた弓を構えている。
「どうやらこのあたりの者じゃなさそうだ。どこから来てどこへ行く」
ヤマト言葉だが流暢ではない。男が近づき、身なりが見えてくる。腕覆いと脛巾
(はばき=脚絆)を着け、袖の短い着物の上に、黒っぽい袖なしを着ている。鹿皮
のようだ。顔には濃い髭。腕も脛も毛深い。伊冶城の兵士や柵戸ではない。エミ
シのようだ。だがエミシなら、携える弓は槻弓(つきゆみ=ヤマトのケヤキ製の弓)
ではなく、猪鹿弓(さつゆみ=エミシが使う狩猟用弓)のはずだ。
「お前こそ何者だ。ヤマトかエミシか」とトクシ。
「まあ、ヤマトではないな。エミシというのは、ヤマトが勝手にそう呼んでいるだけ
だ」
「その言い方だと、城柵の者ではないようだ。なら見逃してくれ。我らは下野を逃
れ、志波へ行く途中だ」
「最近はヤマトと悶着が起きそうな気配があって、みんな警戒している。うかつ
に他所者が近づくと殺されるぞ。志波に知り人でもいるのか」
「我はノッキリという者に誘われたんだ」
その名を聞いて、男は表情をやわらげ弓を下した。
「ノッキリはもういない。ヤツは傷が膿んで死んだ。だがノッキリの知り人なら、
まんざら縁がないわけではないな。オレは志波の者だ。エアチウという。
目を付けていたでかい熊を、このあたりまで追ってきて仕留めた。熊猟では、三、
四十里(1里は約4キロ)も跡を付回し、山で幾晩も寝ることがあんだ。仕留めると、
知り人のいる山の集落に声をかけ、運ぶのを手伝ってもらう。肉は集落の衆と分
け、肝と皮はオレが取る。乾くまでそこにいるんだ。いつもそうしてきた。だけど今
度は、志波のエミシが来たと伊冶城に知らせた奴がいて、偵察に来たんじゃない
かと、捕まってしまった。しばらく来なかったからオレは知らなかったんだが、その
集落はいつの間にか、伊冶城に恭順していたんだな。
それから、坂東の百姓といっしょに、田を耕す仕事をさせられていたのよ。オレ
は山の者だ。獣を狩ったり、馬を養ったりするのは得手だが、鍬を握るのは嫌い
だ。そんなの、女や年寄りの仕事だよ。それに奴らは、獣みたいに鞭で叩きやが
る。つくづくいやんなってな。それで村に帰ろうと、弓を盗んで抜け出したんだ。
ところで、お前はノッキリとどういう仲だ」
トクシは、ノッキリと親しくなったいきさつを話した。(この章続く)