残氷の造形


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   沖に去る流氷が残した氷塊には、さまざまな形があります。人が意図して創作した

ものではないけれど、何かに似ているような気がするものも。望遠で撮りましたが、

接近して間近で見たら、もっと迫力があるでしょうね。


 

                          小説 縄文の残光 13

    
                                                逃 散(続き)
 
   あるときノッキリに、尻砂のくらしについて愚痴をこぼした。毎年の租と公出挙

あわせると、収穫した稲の二割以上になる。その他に庸と調(物産税)を納めなくて

はならない。庸調を都に運ぶ運脚に指名されるのは、たいへんな災難だった。りっ

ぱな官道こそ通行できたが、食糧自弁で野宿を重ねることになる。帰りに食物が

尽き、路傍に屍をさらす者もいた。遠国の庸(都での力役)は、物納で代替された

が、軍役はある。そのうえ、国庁(現在の県庁)が命じる雑徭(ぞうよう)が、正丁(

いてい=21歳から60歳の健康な男子)なら、年六十日にも及ぶ。寺社や官道の

補修、潅がい施設整備、墾田開拓などに、無償で働かされるのである。

   租庸調()、力役・軍役()にもまして公民(百姓)を苦しめたのは、公的強制高

利貸のような公出挙だった。中央に一定の率で納めた残りは、国府の収入になり、

官職に応じて役人が分け取る。蓄財に熱心な役人は、当然率を増やそうとする。

  賦役は、律令政府が支配するどこの地域でも、ほぼ同じだった。しかし東国の

百姓の肩には、城柵の北進にともなう臨時の負担が、さらに重くのしかかってい

た。ここ十三年間は、桃生(ものお)雄勝(おがつ)、伊冶と、築城が相次いだ。

   東国の中でも、下野からの逃散が特に目立った。この地の百姓は、他国より

強い不満を抱いている。下野氏は、畿内以外の出身で貴族(三位以上)に列する

ことのできる、例外的な家柄である。昇進のために必要な財を、在地の豪族や富

戸に求めるたびに、負担が郷人に転嫁される。

    トクシは、なぜ特に下野で百姓のくらしが苦しいのかを、はっきり知っていたわ

けではない。ただ、日に日に重くなる負担についてなら、いくらでも話すことができ

た。

    「一番きついのがエミシ討伐の軍役だよ。あっ、すまん。討伐というのは役人ど

もの言い草だ。我はあんたらを賊だなんて思ってない。我は国府や郡家のヤツら

より、あんたの方がずっと近しい気がする」

    「それなら、お前も志波に来るがいい。オレはいつかここを逃げ出す。だが胆

沢には戻れない。役人どもが族長にうるさく言ってくるからな。なので、妻の親族

がいる志波の集落に行くつもりだ」

    「おう、我もいつかきっと、下野を抜けて志波へ行くぞ」   (この章続く)