春のオオワシ


   デジモナさん、バンという鳥は見たことがありません。嘴がきれいですね。

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   三月後半には美幌川オオワシを見なくなりました。解氷が進む海で、魚を狙うか

らでしょうか。四月は湖が開きはじめ、場所を移すようです北へ帰る前に、海より

収獲の多い湖で、栄養を蓄えるのでしょうね。初めの三枚は濤沸湖の平和橋で。多

い年は何羽も集まりますが、今年は解氷が遅く、この日は一羽だけでした。最後の

一枚は能取湖です。ここは二羽でした。


           縄文の残光  6
           
                                  ウクハウ(続き)
 
  アシレラ隊の姿が闇に消えてから、ウクハウは、正門に残った部族の族長に集

まってもらい、作戦を説明した。

  「そうか、よしこちらでも、木を伐って用意しよう。敵が西に兵を分け、正門が手

薄になったら、楼閣に登り、内側から閂を開けよう」

   族長の一人が言い出し、山の部族の数十人が暗い森に入って行った。やがて

西郭のあたりに火の手が上がった。正門の敵に慌しい動きが起き、射手の数が

少なくなる。エミシの男たちが門前に殺到したときには、兵の姿はなくなっていた。

楼閣を乗り越えて扉を開け、城内に入る。ヤマト兵は、塀を回した内郭の中心に

ある、政庁に集まっているようだ。西郭を焼き尽くしたアシレラ隊も、包囲に加わ

った。間もなく、百五十人ほどが武器を捨て、投降してきた。城司とその家人な

ど、裏門を開けて逃亡した者も多い。死者を除けば、残されたのはこの人数だっ

た。族長たちは話し合い、残兵の退去を許した。

    兵卒に恨みはない。それより早く、政庁や倉庫に蓄えられている、米・武器・

宝物・織物・什器を分け合いたかった。不当な交易で取り上げられた物を、取り

返すつもりである。めぼしい品を漁り尽くした後、火をかけて政庁を焼いた。自分

たちに数々の屈辱を強いた、ヤマトの象徴である。恨みを込めて破壊し尽くす。

桃生城はその後二度と再建されなかった。

    この蜂起が、三十八年戦争の始まりである。多賀城大伴駿河麻呂は、直ち

に鎮兵と各軍団の兵を集め、桃生に向かわせたという。救援隊が見たのは、無

残にに変わり果てた城である。駐屯さえままならない。エミシは既にそれぞれの

集落に引き上げている。草木の勢いが最も盛んな季節である。遠田を攻め、森

や湿地で戦うことになれば、現地の兵だけではどうにもならない。アシレラもウク

ウも、まったく心配していなかった。
   
   だがウクハウは、後に逃亡の途中で、風の便りに聞くことになる。桃生城陥落

の報せに驚愕し、朝廷は大急ぎで大規模な軍の編成に着手した。八月に入ると

直ちに、坂東八カ国に命じ、それぞれ五百から二千の兵を徴発し、いつでも発進

できるように準備させた。それでも、駿河麻呂にはためらいがあった。一度は

夷の実施を上申したが、夏の森は軍の進退が困難である。エミシは、城から奪っ

た財物に満足し、さらに南を侵す気配はない。騒動に怯え、柵戸(きのへ=城柵

のある地域に移り住んだ律令)は農事もままならず、今年の収穫が危うい。今

攻撃しなくてもいいのではないか、と。
   
    天皇は、傷付けられた権威の回復に躍起である。現地の事情にまで気を回そ

うとはしない。二万を超す軍が結集し、天皇に叱責されたからには、老将軍も腰

を上げるしかない。九月、遠田の各集落に攻撃が仕掛けられた。最南端のウカ

ンメ集落が真っ先に。これだけの大軍が相手では、孤立した小部族はひとたまり

もない。ウクハウは傷を負いながらも、生残った一族とともに、アキオツへ奔っ

た。

   エミシは、勝利の見込みがまったくなければ、絶滅より投降を選ぶ。どのような

形でも、生きられる間は生きようとする。後の胆沢の戦いと違い、遠田では部族

間の連携は未熟だった。対立したり友好的だったりする交流で、緩やかに結ば

れてはいるが、各部族の去就はそれぞれが決める。ウクハウはもちろんアシレ

ラにも、部族を超えて戦士を集めるほどのカリスマ性はない。二万もの大軍に囲

まれ、どの集落も恭順を選んだ。いかに大部族でも、アキオツだけでは敵わな

い。交戦前に降伏すれば、遠国に移配されるにしても、命は助かる。だが、桃生

城襲撃の首魁は打首を免れない。ウクハウは、アシレラを伴い、一族・家族ととも

に、ヤマトの勢力が及ばない北方に、逃れることにした。  (この章続く)