たおやかな雪の斜面
デジモナさん、またのお泊りからのお帰り、お待ちしています。
そらさん、穏やかに晴れた春の日は、氷雪風景がとても鮮やかです。それも今
月までですね。五月になると、高さのある山以外は雪がなくなります。連休ごろ、森
の奥で残雪を見ることはありますけど。
美幌峠を弟子屈側に下る途中に、たおやかな雪の斜面が印象的な場所がありま
す。春スキーを楽しむにはいい場所のようで、跡がたくさんついています。この日は
滑走する人影が二つ。下から見るよりは傾斜がきついようで、「おっかねー」と叫びな
がら、こけつまろびつといった様子で、待機する車の方へ降りていました。
小説 縄文の残光
まえがき
アイヌは寒冷な北海道にいて、潅がい稲作は採用しなかった。だが、狩猟採集・
雑穀栽培・交易で首長制に進み、小国家を建てる直前まで行った。エミシは、地
理的・気候的な条件に恵まれた場所では、しだいに潅がい稲作を拡大していた。
にもかかわらず、集団規模については、発掘された遺跡から、部族の段階だった
と推定される。
エミシ住民数を推定してみる。西暦800年の東奥羽(青森・岩手・宮城・福島)の
人口が18万6千人。岩手・宮城北部がその半分として、9万3千人。全国人口
(北海道・沖縄以外)は、約550万6千人とされている。東奥羽・西奥羽の26万6
千人を除くと、524万人。戦闘地域のエミシ数と比べ、ほぼ56倍である。
以下では、こんな時代解釈を背景に、歴史上の人物や架空の人物の物語が、
紡がれることになる。考古学の資料や文献史の定説があれば、そこからはみ出
さないように。そして資料がなかったり、議論が定まらなかったりする部分は、想
像力を羽ばたかせて。部族のくらしや意識については、世界各地の未開部族に
関する、文化人類学的な報告が、想像の手がかりである。
東北地方地図
(明日から本編に入ります)