シコタンキンポウゲ


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   キンポウゲ属の種はたくさんあります。その中で、わたしが一番多く目にするの

は、このシコタンキンポウゲ。花は径2センチとあまり大きくないのですが、輝くよう

な黄金色はよく目立ちます。撮ったのは能取岬の先端。大きなフキの葉陰に咲い

ていました。


                                 小説 縄文の残光 86
 
                    登米・栗原の戦い(続き)
 
   次の朝、胆沢戦士団千五百が、栗原に向かって出発した。モレの集落がある

磐井は、胆沢地区の一番南である。そのあたりから、敵との遭遇戦を避け、栗駒

山麓の森に入った。二迫(にのはさま)川を渡り、街道を迂回して伊冶城の東へ接

近する。途中の山間集落には、低地の稲作集落から、女・子ども・年寄りが避難

していた。二迫川・一迫(いちはさま)川・迫川流域の人々は、田村麻呂・俊哲の分

遣隊に襲われ、家を焼かれ、田を荒らされた、と訴える。一尺ほどに育っていた

青い稲が抜かれ、灌がい水路も埋められた、と。

   戦える年齢の男たちはすべて、伊冶城に入っている。その数はおよそ千。間も

なく、野足・浜成の東隊が合流し、包囲戦が始まりそうだ。輜重隊を除いて、攻城

部隊は七万に近いだろう。

 
   田村麻呂は玉造の砦で、俊哲と共に、軍船団の壊滅と補給基地設営失敗の

報せを聞いた。七万に近い戦闘部隊の訓練はうまくいった。森での乱戦を避け

れば、たかだか三千のエミシに敗れることはないと、自信をもっていた。だが北

上川を遡上する輜重隊が弱点。それは気付いていた。自分は水軍の経験がな

いので、船隊の準備は浜成に委ねた。

   浜成は前回海岸沿いに軍船を北上させ、気仙を攻めている。だが、北上川

流路や川底の地形を、どれだけ詳しく調べたのかはわからない。不安はあった

が、戦闘経験豊富な浜成に、若輩の自分が指図するのは控えた。心密かに、自

分が敵軍の将なら、軍粮運搬と幕舎設営に当たる輜重隊を狙う、そう思ってい

た。ところが敵は、実際にそれをやった。アテルイという男は、エミシとは思えな

い戦術眼を持っているようだ。

   そんなことを考えている田村麻呂に、俊哲が話しかけた。

   「我は宝亀十一年、アザマロの乱の翌年、エミシに包囲され、辛うじて命を拾い

ました。奴らは獰猛な獣のように強い。味方十人で一人に向かっても万全ではあ

りません。野足・浜成の周りにいた兵は六千だったとか。敵の歩騎千五百が襲い

かかったら、二人の命は危なかったかもしれませんよ。敵の騎兵が登米の俘虜

を助けようと寄り道をして、分遣隊の結集が間に合ったのは、幸運でした」

    「俊哲殿、今回の敵の作戦は実に巧妙でした。遅れれば不利だと分っていた

はずなのに、アテルイはどうして寄り道したのでしょう」

    「確かに、我がヤマト軍なら、囚われた女・子どもより、戦局全体を重視しま

す。なぜ救出を優先させたのか、我にもわかりません。ともあれ、輜重隊に損害

はあっても、東隊の三万余は無事に包囲戦に合流できるのだから、伊冶城攻撃

はうまくいきますよ」  (この章続く)